168人死亡の紫雲丸事故から63年 高松海上保安部が現場で慰霊行事(産経新聞)

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 瀬戸大橋建設のきっかけともなった紫雲丸衝突・沈没事故から63年の11日、高松海上保安部(高松市)は事故現場海域で慰霊行事を開いた。関係者が献花などを行い、海上交通の安全を誓った。  同保安部が慰霊行事を企画したのは、所属する第6管区海上保安本部(広島市)が昨年実施した「海難防止川柳コンテスト」で、香川県在住の66歳女性が詠んだ「瀬戸の霧 思い出そうよ 紫雲丸」を目にしたのがきっかけ。今月は同保安部設立70周年にあたることから、海上での事故の悲惨さを改めて認識し、海上交通の安全につなげようと開いた。  紫雲丸事故は昭和30年5月11日午前7時前、濃霧の高松港沖で宇高(岡山・宇野港-香川・高松港)連絡船の「紫雲丸」と同じ連絡船「第三宇高丸」が衝突、紫雲丸が沈没した。同船には乗客781人、乗員60人が乗っていたが、松江市の小学生ら3小学・1中学校の修学旅行生100人を含む乗客166人と船長ら乗員2人の計168人が死亡した。  慰霊行事には、海上保安協会香川支部、香川県水難救済会、海上保安庁OBら約65人が参加。巡視船「いぶき」と巡視艇「くりなみ」に分乗して事故現場海域に赴いた。  船上では海保OBで事故当時、事故処理にあたった巡視船に乗っていた大住尚さん(86)が「収容された子供たちの遺体を見たときは、やるせない思いがした。海上交通の安全確保を啓蒙(けいもう)し続けなければならない」と話した。同保安部の玉越哲治部長は「世の中がいかに発展しても、命の尊さ、自然の厳しさは変わらない。備讃瀬戸で起きた学ぶべき歴史・教訓(紫雲丸事故)を、これからの海上安全につなげたい」とあいさつした。  この日の高松港沖は霧もなくおだやかで、関係者は犠牲者数と同じ168本の白菊を海上に献花して、冥福を祈った。

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(2018/05/12)