Yahoo!天気情報 生みの親の心得は「天気を愛し過ぎない」こと<後編>(日刊ゲンダイDIGITAL)

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 ネット史に名を残すカリスマの薫陶を受けつつ、ヤフーで残した実績は数知れない。言ってしまえば、今の「Yahoo!天気・災害」の形を作ったのはこの人である。 「今では当たり前の〈雨雲レーダー〉を作ったのは、当時、雨雲の動きによる降水のメッシュ予報自体あまり知られていなくて。だけど私は天気を見る時に一番使っていたので、なぜ皆使わないんだろうと思ったのがきっかけです。まだグーグルマップがなかったので、地図会社から高精細の地図を買い、そこに雨雲の予測情報をメッシュ状に載せていくという地道な作業をしました」  日本地図をクリックすると、例えば関東から東京へ進み、最後は自分の住んでいる地域の天気情報が表示される仕組みも実装した。 「当時の天気サイトは全てテキストでした。東京の文字をクリックすると、区や市の名前が出てきて、それをクリックすると……という感じ。まだインターネット回線が細く、1ページあたり50キロバイトに収めなければいけないルールがあったからなんですが、ヤフーが持っていた高度な圧縮技術を使うことで、ビジュアル化することに成功しました」  最後にやった大仕事は、地震など緊急時にヤフーの全ての広告が地震や津波の情報に切り替わる仕組みの導入。これは現社長の川邊健太郎氏と2人で中心になって成し遂げた。これにより、同社で優れた功績を挙げた社員に贈られる〈スーパースター〉表彰を受けた。 「これで天気はやり切ったなと。もっとインターネット全般に目を向けたいと思い、独立したんです」  先のことは何も考えずにヤフーを辞めたが、すぐに声をかけてきたのが日本気象協会。振り返れば最初に入社したのも日本気象協会が出資した会社。その後もさまざまな局面でこの協会と関わってきただけに、「思いの強い」相手だ。当初は協会のインターネット関連の営業支援業務を個人として請け負ったが、やがて気象メディア「tenki.jp」の立て直しを任される。 「ヤフーの天気情報は自分が手塩にかけて育てた子供。それを抜きたいという思いが起こり、お受けすることにしました」  その後、2013年に「tenki.jp」の運営を主事業とするALiNKインターネットを創設。19年に当時の最少従業員数(9人)でマザーズ上場を果たした。  ところで「tenki.jp」のサイトをのぞいてみると、他の気象サイトとは違うことに

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(2020/11/29)