菅義偉、31年ぶりの平民宰相の街頭演説が「普通じゃない」理由(ダイヤモンド・オンライン)

【リンク先抜粋】
 菅は、小此木に迷惑をかけるわけにはいかない、と議長と同じ選挙区から出ることは避けた。代わりに選んだのが、自身が秘書時代に担当していた横浜市西区。当初は自民党の公認も得られず、無所属での出馬である。もちろん血縁者もいなければ、中学・高校時代の同級生もいない。いわゆる「ジバン(地盤)」も「カンバン(看板)」も「カバン(鞄)」もまったくない場所で、ゼロから選挙運動をスタートさせたのだ。  当時、菅は6歳を筆頭に3人の子供の父親でもあった。選挙自体には莫大なお金がかか るし、出方が出方だけに、落選すれば帰るところもない。場合によっては、家族を路頭に迷わせることにもなっただろう。菅にとって、それは人生を賭した大勝負だった。  抜群の情報整理能力・情報分析能力で、周囲からは「カリスマ秘書」とも呼ばれ、いずれ選挙に出るのは当然と目されてもいた菅だが、人生初の選挙では苦戦した。  「菅義偉です。よろしくお願いします」と訴えても、足を止める人はいない。見向きもしないし、チラシを受け取りもしない。スーパー秘書だった菅も、知名度のなさばかりはいかんともし難かった。 ● 丸腰で挑んだ人生初の選挙 気を失いながら1日200軒を訪問  しかし、ここからがほんとうの選挙戦だ。親の地盤を受け継いだならいざしらず、徒手空拳(としゅくうけん)の菅は選挙の基本を繰り返すことが唯一の戦略であった。  選挙の基本とは何か。それは、ひたすら歩いて有権者一人ひとりに自分の顔と名前を覚えてもらうことだ。

続きはこちら

(2020/11/26)