携帯電話料金の過度な値下げが、国民にとって幸せではない理由(ダイヤモンド・オンライン)

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 余談だが、付加価値の付け方は、機能・性能だけではない。人間の情緒や感性に訴えかけ、デザインやステータス感によって、高くても売れる商品の価値をつくることもできる。スイスの高級腕時計などがそうだ。機械式のロレックスより、日本製のクオーツ時計の方が正確に時を刻むという機能は圧倒的に高い。それでもスイスブランドの腕時計が高いのは、そこに情緒的、感性的な価値があるからだ。  つまり、機能的に、あるいは情緒的に消費者に商品の違いを納得させることができれば、商品の値段は高くても納得させられる。しかしそうでないと、価格だけが購買意思決定要因となって、価格は急速に下落する。ただし、それは競争市場が機能している場合だ。市場に多くの企業があって競争する環境の中で消費者が安いものを望めば、企業は競って価格を安くしようとするので、10円のもやしのような極端な例まで出てくる。 ● 寡占市場では事業者が有利 料金が下がらなかった携帯市場  話を携帯電話に移そう。そもそも日本の携帯電話の料金は高いのか。試しにアメリカの大手携帯電話キャリア、ベライゾンの携帯電話料金を調べてみると、データ無制限で月額35ドル(税別)のプランからある。確かに、日本の携帯電話よりは安そうだ。  携帯電話が珍しかった1990年代や2000年代の初頭は、携帯電話という機能性を求めて、いわばキャリア側の言い値でユーザーは料金を支払ってきた。通話料金も今と比べるととても高かった。そこに低価格なプランを提示したり、iPhoneという新しい価値のある商品を投入したりすることで、ドコモとKDDIの2強状態だった携帯電話キャリア市場に、新規参入者のソフトバンクが入り込み、3強の一角にのし上がった。携帯電話市場においても、ある程度の競争原理は働いている。  しかし、携帯電話事業と他の多くの事業の大きな差は、電波という有限の資源を独占的に使用する権利を国が企業に与え、企業がその資源を利用して事業を行う許認可事業であるところだ。誰でも簡単に携帯電話事業を始められるわけではない。ここにきて、ようやく楽天モバイルが4社目の事業者として免許を取得したくらいだ。  このような寡占市場では、どうしても企業側が有利になり、消費者が安いサービスを望んでもなかなか料金は下がらない。市場原理の限界を補うのが政府の役目であり、菅政権が携帯電話料金に

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(2020/11/26)