“木内マジック”は隅々まで見る観察眼から生まれた(日刊スポーツ)

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<こんな人> 高校野球の取手二、常総学院(ともに茨城)の監督として、春1度、夏2度の甲子園優勝を果たした木内幸男氏が24日午後7時5分、肺がんのため茨城・取手市内の病院で死去した。89歳だった。 【写真】03年夏の甲子園を制した常総学院・木内監督はナインからウイニングボールをもらい感慨深げに見つめる    ◇   ◇   ◇ ファンにサインを求められると、常総学院・木内幸男監督は「努力」「情熱」「愛情」「絆」などの字をランダムに選んで添えた。観察力に優れた人。きっとパッと見てふさわしい言葉を瞬時に選んでいたのだろう。 「木内マジック」と評された大胆な采配も、しっかりと選手を観察してこそのものだった。チーム内の人気者、好機に強く一目置かれる選手など、打てばチームが勢いづく選手を代打に送り、流れを引き寄せた。その選手がどんな特徴を持つ選手なのか、だれよりも把握していた。 ある日、土浦の常総学院へ練習の取材に行った時に、驚かされたことがあった。練習中、バックネット裏で話を聞いていた時だ。木内監督から見て右斜め後方、明らかに視野の外で悪送球のミスがあった。とたん、振り向いて拡声器で声を張った。記者と話しながらも、神経はグラウンドの隅々まで届いていたのが分かった。マジックのタネは、そうして仕込まれていた。 02年に夏の県大会を制した常総学院・持田主将は「木内監督? 大会前はあんなに怖い人はいないけど、大会中はあんなに優しい人はいません」と言った。練習は厳しく、本番は優しく。それも選手に実力を発揮しやすくするための木内氏なりの作戦だった。【02年高校野球茨城県担当=竹内智信】

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(2020/11/24)