ショーン・コネリーの「007ドクター・ノオ」興行的には成功も酷評の嵐 初代ボンドガールの白いビキニはオークションで3万5000ポンド(夕刊フジ)

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 【さらばショーン・コネリー ダンディズムの神髄】  ショーン・コネリーが死去した。その名前を有名にした初代ジェームズ・ボンドはダンディズムの塊だった。そんな彼の足跡をたどる。 ◇  原作はイアン・フレミングの小説で007シリーズの6番目にあたる。『007 ドクター・ノオ』は日本での初公開時、『007は殺しの番号』というタイトルだったので、こちらのほうが通りがいいかも。  イギリスのMI6の秘密情報部員とその助手が行方不明になった。彼らはジャマイカに潜入していた。ボンドは現地に飛ぶと美人のハニー・ライダー(ウルスラ・アンドレス)らと協力して、敵の隠れ家と思われるクラブに潜入するが、スペクターのメンバー、ジュリアス・ノオ博士(ジョセフ・ワイズマン)の島に捕らわれてしまう。  ボンドは何とか脱出しノオ博士と対決する。ノオは金属の義手があだとなり原子炉のプールに落ちてしまう。ボンドはハニーを救い出すと、島から脱出。島は爆発して消えた。  初代ボンドガールのウルスラ・アンドレスはプレイボーイ誌でヌードを披露するほど魅力的なセクシー女優だった。人気投票ではいつもナンバーワン。私生活でもジェームズ・ディーンやジャン=ポール・ベルモンド、ライアン・オニールらと浮名を流した。  白いビキニ姿で海から上がってくる有名なシーンがあるが、そのときのビキニはクリスティーズのオークションで3万5000ポンドという高値がついた。  本当の第1作は『サンダーボール作戦』の予定だったが、権利の問題がこじれて、訴訟に発展したため断念した。  興行的には5900万ドルと、1962~63年では『アラビアのロレンス』に次ぐ第2位の興行収入をあげ、成功といえたが、評論家からはさんざんに酷評された。  コネリーを「巨大な毛むくじゃらのマシュマロ」と書いた批評も。バチカンやクレムリンまで「セックスとバイオレンスのオンパレード」で「下品、資本主義の擬人化」と悪口のオンパレードだった。それでも、製作費はたった100万ドルだったのだから、映画会社はコネリーさまさまだっただろう。  ボンド役にはケーリー・グラントやパトリック・マクグーハンの名も挙がっていたが、結果オーライということだ。(望月苑巳)  ■ショーン・コネリー 1930年8月25日、スコットランドのエディンバラで誕生。ボディービルの大

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(2020/11/24)