【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】楽しない事態も楽しまな(オーヴォ)

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2020年11月24日=597 *がんの転移を知った2019年4月8日から起算 先日、11月21日土曜日の午後は、本来なら母校の東海高校(名古屋市東区)で開かれる「オータムフェスティバル2020」に参加する予定だった。同イベントの中で小一時間ほど話す時間をちょうだいしていたからである。しかし急きょイベント自体中止の連絡が入った。開催2日前の木曜、午後2時過ぎのことだった。 “学校関係者に新型コロナウイルス感染者が出たため、11月21日(土)に予定していたオータムフェスティバルは中止となりました”(東海中高父母懇談会ホームページより引用) 知らせてくださった教諭先生はとても残念がっていた。 「どうしても大橋さんにお目にかかり、お話を聴きたかったんです」 実は母校との縁は、今年の2月さらには6月とキャンセルになっていた。いずれもコロナ禍による。 以前の私ならば、予定通り進まないことに対して、文句のひとつも言い放っただろう。しかしがんを生きる今はわずかに視野が広い人(自称)になった。 自らも常にドタキャンし得る身の上だ。もしも当事者の方が謝っておられるならば、「そんな謝罪は全く不要」と声をかけたい。相手はウイルスである。あなたのせいじゃぁない。ただただコロナ陽性と診断された方の大事に至らぬことをお祈りするばかりである。 ▼中高時代を振り返ってみる 初会・再会を問わず、母校での出会いを楽しみしていた会が中止という楽しくない事態が発生した。しかし己の人生、楽しまな。そこでこの機会に東海中学・高校で過ごした6年間を振り返ることを楽しむことにした。 大橋洋平に関心なき人にとっては、つまらん話となるだろう。しかしそこは自己中満載の私である。 振り返る前に、話はさらにさかのぼる… 小学生時代通信簿における「協力性」の評価はいつも「B普通」だった。先生も通常Cは付けたくないだろうから実質は✖ということだ。傍若無人あるいはお一人様の項目があればいつも◎のAやったろうに。おふくろが証拠の品を残しておいてくれたおかげで、半世紀の時を経て再び事実が明らかにされた。 これらも生きる術のひとつや、とオレは思う。ということで、周囲はお構いなしで、本日は自分の中高時代を振り返りたい。 ▼「村」から都会の中学へ さて中学時代。これは“もう新鮮!”の一

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(2020/11/24)