【知恵の経営】成功するまでやり続ける Chatworkの苦難と成功までの歴史(SankeiBiz)

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 □アタックスグループ主席コンサルタント・丸山弘昭  今回は、10月27日付の本欄で紹介したChatwork(チャットワーク)の苦難と成功までの歴史を見ていきたい。  同社の山本正喜社長は、2000年7月、大学在学中に実兄と起業した。きっかけは当時、米ロサンゼルスに留学していた兄が知ったインターネットだった。起業家精神にあふれる2人はこの分野に関わる事業として、集客支援サービスの検索エンジン登録代行ビジネスを始めた。当時、米国で普及していた検索エンジン登録ソフトを利用し、常識では考えられない破格の価格で参入したところ大成功した。  この頃、同社は「中小企業のIT支援」を自社のビジネスドメインにすると決めており、ウイルス対策ソフト「ESET」の輸入販売事業も始めたが、これも大ヒットした。しかし、やがてグーグルの進化で集客支援サービスに陰りが見え始めたことと、海外から輸入したソフトウエアの代理店ビジネスが普及すると、ベンダーが直接日本でビジネスを始めるという危機感もあって、新たに自社開発による独自事業を始めることを決断した。  この事業を4年間頑張ったものの、結果的には数億円の赤字を出す大失敗となった。売り上げが少しずつ減少、新規採用ストップ、スタッフ自然減と成長が止まると、ベンチャーの魔法が解けていった。正喜氏は「会社のビジョン・戦略が定まらず、組織の問題が一気に噴出した大変しんどい時代だった」と語る。  この状況下で、同氏は当時社内で一番利用していたITツールのチャットに着目し、ビジネス向けのチャットをクラウドで提供するアイデアを思いつく。この時代は技術の普及があり、ウェブでチャットがつくれるようになっており、この技術を他社に先行して取り入れた。この事業は絶対成功すると確信し、企画書をまとめ提案したところ、前回の新規事業の失敗もあって、どの役員からも賛同を得られなかった。  しかし役員一人一人に根気強く説得し、最終的に社長であった実兄から「そこまでいうなら最悪社内ツールにすればいいか」という言葉を引き出し、ビジネスチャットの開発をスタートさせた。ただ、社長からは「好きなことをやるんだから一人でやって」といわれ、一人で開発に没頭した。  正喜氏の頑張りで社内ツールとしてそれなりに稼働を始めたところ、「これが欲しい」と社内で評判となり、プロジェクト開発メン

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(2020/11/24)