記憶よ、抵抗せよ──GQ JAPAN編集長・鈴木正文(GQ JAPAN)

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人間を不幸にするのは幸福の記憶なのか? コロナ禍のなか閉店したある店をめぐる『GQ JAPAN』1月&2月合併号所収のエディターズ・レター。 【編集部員が厳選した、いま読むべきエディターズレター集】 店側がどうおもっていたかはともかく、僕はその店が好きだった。しかし、コロナ禍のもとでの緊急事態宣言が解かれた5月末のころだったろうか、店が閉まった、と人づてに聞いた。いや、閉めざるをえなかった、というべきか。 東京・港区の白金高輪と渋谷区の広尾の中間ぐらいの、かつては小さな町工場なども点在していたちょっと裏ぶれたバックストリートの一角の、コンクリート打ち放しのモダンな雑居ビルの、外階段で上っていく2階にあったその店は、ひと口に、こういう店とかああいう店とか定義することがむずかしい種類の店だった。西洋風の居酒屋といえば居酒屋のようでもあり、カジュアルなレストランといえばそのようでもあり、また、バアといえばバアのようにもおもえてくる、なんだか怪人二十面相のように正体不明のあやしい魅力のある店だった。 人間を不幸にするのは幸福の記憶だ、とだれかがいったかもしれないけれど、その店のことを思うと、そこには幸福の記憶があった。その幸福とは、店でひとときを過ごしている客と、客のために仕事をする店の従業員とが、それぞれに分有した「場所の幸福」だったようにおもう。あの店には、それが、いつ行っても、あった。店の客だけでなく、働いていた人たちも、そこに立ち込めていた小さな幸福の記憶に等しいぶんだけの小さな不幸を、あの場所が消滅したいま、おのおのの胸の奥に、ひそかにしまい込んでいるのにちがいない。 4月7日に政府が緊急事態宣言を出す数週間前の3月18日の夜が、僕がその店に行った最後だった。僕たちは4人の一行で、新型コロナウィルスの感染はそのときすでに拡大中であったけれど、その夜も、いつもの夜同様に、僕たち4人は、満員の客もきっとそうだっただろうけれど、一抹の不安に怯えつつも、あの場所の幸福に浸る幸運をもった。 店は中央にある広いオープン・キッチンを、コの字型のカウンターがぐるりと取り囲む構造で、席は全部で30ぐらいあっただろうか。キッチンのなかで、休みなく調理したり食器を洗ったり、盛り付けをしたりする忙しそうだけれど自然に浮かべているようにみえる幸福そうな笑顔の、 3、4人の料理

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(2020/11/24)