ダブルバブルな「ザガート」にバブル再来! 「TZ3」は意外と苦戦の5100万円で落札(くるまのニュース)

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 フィアット・アバルト「750GTザガート」はフィアット「600(通称セイチェント)」のシャシに総アルミ製ボディを組み合わせるという、創成期アバルトの定石の開祖となったモデルといえるだろう。  アバルトの開祖カルロ・アバルトは、イタリアの国民車的存在となりつつあった大衆車フィアット600のために、専用チューニングキット「750デリヴァツィオーネ」を1956年から発売し、大ヒットを獲得。  さらにフィアット600用フロアパンを使用したプラットフォームと、アバルト製750デリヴァツィオーネ・ユニットを、当時のイタリアには数多く存在したカロッツェリアに供給することにした。  そしてこのオファーに応えるかたちで、1956年のジュネーヴ・ショーに出品されたのが、のちにフィアット・アバルト「750GT」の主力となった、カロッツェリア・ザガート製ベルリネッタの最初期モデルである。  ちなみにこのショーでは、ベルトーネ製の未来的なベルリネッタ、カロッツェリア・ヴィオッティ製の瀟洒なクーペ、カロッツェリア・ギアがフィアット600ボディの750デリヴァツィオーネを豪華にドレスアップしたモデルも同時に展示されたが、ザガート製ベルリネッタは4台のなかでもっとも大きな反響を得たことから、シリーズ生産化が決定するに至ったといわれている。  こうして少量生産がスタートした750GTザガートだが、空力効率を追求するあまり徹底して低いデザインとされたルーフは、ヘッドルームが不足してしまうとの評価を受けたことから、この年秋のトリノ・ショー以後に製作されたシリーズ2では、ルーフの左右に大きな「こぶ」を追加することとなった。これが、のちにザガートのアイデンティティとなる「ダブルバブル」が誕生したいきさつである。  そして、それからわずか数か月後の1957年初頭には、ノーズをいっそう洗練したデザインとし、リアエンドもスタイリッシュなテールフィン状にソフィスティケートした完成形、いわゆる「シリーズ3」へと進化。1957年のミッレ・ミリアで小排気量GTクラス優勝を獲得するなどの大活躍を見せることになったのだ。  ところで、フィアット・アバルト750GTは、イタリア本国やドイツなどのヨーロッパはもちろん、アジアや中南米にも輸出された。なかでも生産数の6割以上を占める大市場となったのが、合衆国元大統領

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(2020/11/23)