渋谷系にも影響を与えたスタイル・カウンシルのデビュー作『カフェ・ブリュ』(OKMusic)

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パンク人気がまだ衰えてなかった1977年、ポール・ウェラー率いるザ・ジャムは「イン・ザ・シティ」でデビューし、スピード感のあるパンクグループとして全英レベルの人気を得る。彼らの強みは音楽性だけでなく、60sを彷彿するファッションやライフスタイルにあり、モッズ・リバイバルの中心に担ぎ上げられることになる。かなり乱暴に言ってしまうと、日本でモッズにあたるのは暴走族だと思う。ツナギを着てバイクに乗り、髪はリーゼントで音楽は矢沢永吉…みたいな感じ。 今から思えば、ジャムはパンクグループというよりはR&Bをこよなく愛するビートグループなわけで、ある意味でポール・ウェラーの仕掛けた罠にみんな騙されていたような気がする。78年にリリースされた3rdアルバム『オール・モッズ・コンズ』以降、彼のR&B好きはだんだんエスカレートしていき、全英1位を獲得したラストアルバムの『ザ・ギフト』では、ホーンセクションを参加させ、ファンクやダブにも挑戦するなど、黒人音楽をなぞるだけでなく、新しい音楽への追究が本格化していただけに、このタイミングで解散したのは残念であった。このまま続けていけば、もっと充実した作品が生まれていたはずなのに…と考えたファンは少なくなかっただろう。 ところがザ・ジャムの解散後、キーボードの達人であるミック・タルボットをパートナーにして、すぐにスタイル・カウンシル名義のシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」(‘83)をリリースする。ここではジャムの後半に見られたモータウンの影響が、もっとはっきり流用というかたちで出ていて、パンクロックとしてジャムを聴いていたファンを失望させたのだが、僕は逆に喜んだぐらいだ。なぜかと言うと、ポール・ウェラーの音楽は本来パンクというよりはポップス寄りなので、ジャムという狭い枠の中では表現できないことが多いはずだと想像できたからである。ただ、このデビューシングルでは60年代ソウルをここまで真似して大丈夫か?…という懸念を抱いたことも事実である。

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(2020/11/22)