バブル期にヒットしたヨーロピアン・セダン5選(GQ JAPAN)

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いまでも人気の高い、いわゆる“バブル景気”の日本に入ってきた輸入車の数かず。若いひとには斬新に、当時を知っているひとにはなつかしく、いま(また)乗ってみたい! と、思わせる魅力にあふれている。 日本の自動車市場は、グローバルな視野からみると、けっこう特異だ。大手メーカーが9社もあり、販売面でもサービス面でも、全国に張り巡らされた販売店網に担保された体制に支えられてきた。なので、諸外国のように、自国いがいのメーカーの製品を大量に輸入販売する状況にならなかった。 1955年から1965年にかけては、乗用車の「外貨予算割当」が制限され、一般への外国製の乗用車販売が禁止されていた。そして1970年までは、保護貿易策がとられた輸入車への関税が40%と高額。 並行して、輸出に頼る日本では円をたとえばドルに対して安く抑えていたため、相対的に輸入品は高価でもあった。さらに、輸入車販売業が高額のマージンを載せていたため、1980年代前半までは輸入車販売はあまり伸びなかった。 輸入代理店が販売していた1975年のフォルクスワーゲン「ゴルフ」の最廉価仕様は160万円弱。同時期のトヨタ「クラウン2000スーパーサルーンEFI」が180万円で、しかもクラウンにはゴルフより低価格なモデルがたくさんあった。 輸入車が著しい伸びを見せるのは、1987年だ。1985年の外国製乗用車の販売台数が5万台だったのに対して、1987年は倍の10万台を記録。1989年には20万台を突破した。 1980年代半の日本政府による金融緩和政策を受けて、多額の流動資産が生まれ、不動産などの資産価値が大きく上がり、同時に一般の消費活動が盛んになった、バブル経済期。 自動車の販売もその波に乗った。従来、いわゆる3ナンバー乗用車には23%、5ナンバーの小型乗用車には18.5%の物品税が課されていた。それが1989年の消費税導入のタイミングで廃止され、自動車税も3ナンバー車で大幅に引き下げられた。 記憶しているのは、メルセデス・ベンツ190Eの価格だ(個人的にこのころ購入したので)。1985年に535万円だったのが、1989年4月に432万円になった。同時に「アンファング」という装備を簡略化したモデルが375万円で発売されたのだ。 かつて、自動車評論家の大先輩である故・徳大寺有恒氏が、1960年代に美空ひばり

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(2020/11/21)