コロナが再定義する大学とグローバル化の行く末/吉見俊哉氏(東京大学大学院情報学環教授 )(ビデオニュース・ドットコム)
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コロナ禍のために日本でも4月からほとんどの大学が対面授業を中止し、キャンパスを閉鎖に近い状態に置いている。大学生活の初っ端で大きく影響を受けることとなった今年の新一年生の中には、大学に入学して以来、一度もキャンパスに足を踏み入れたことがない生徒もいると聞く。ようやく後期から徐々に対面授業が再開され、ようやく通常の大学生活が戻ってくるかと期待していたところに、またしてもコロナの第3波が襲いかかろうとしており、先行きは再び不透明になっている。
今回、感染症の拡大を防ぐために対面授業を断念し一斉にオンライン授業に切り替えたのは、もちろん日本の大学だけではない。世界中で同じことがほぼ当時多発的に起きていた。日本は従前よりネット回線のインフラ整備は進んでいたため、その面では大きな障害はなかったが、20年以上前からオンライン授業のメリットに注目し、優れたコンテンツ開発に取り組んできた欧米の先進的な大学と比べると、日本の大学は東大や早慶といったトップクラスの大学でも、これまでオンラインへの取り組みをサボってきたことのつけが、ここに来て大きく回ってきている。現時点ではITツールを上手く使いこなし、充実したオンライン授業を提供できている教員と、そうでない教員との間の格差が非常に大きく、それが生徒の側の満足度にも大きな差となって現れている。
しかし、大学に起きている変化は、単に授業形態が対面からオンラインに移行しただけにとどまらない。今回のコロナが、以前から大学が問われていたその存在意義や役割を決定的に問い直す結果になった。そもそもキャンパスもなく、サークル活動もできず、ネット経由で講義を聴くだけが大学だとしたら、必ずしも何かを真面目に勉強する目的で大学を選択していない人が大半を占める日本の大学が今度重大な苦境に陥ることは想像に難くない。また、歴史的に見ても、大学の変化は社会全体の学びのあり方にも影響を与えてきた。
『大学という理念 絶望のその先へ』、『大学とは何か』などの著書を通じて大学のあり方を問うてきた東京大学の吉見俊哉教授は、コロナによって大学が半ば強制的にオンライン化を余儀なくされたことで、社会における大学というものの役割や位置づけが根本的に変化し始める兆しが見えると指摘する。
思えば大学の起源は12