「川辺川ダム問題」裁判闘争、苦渋の決断、白紙撤回の歴史(RKK熊本放送)

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「再び流域の分断につながってはならない」知事が懸念した川辺川ダムをめぐる対立は、半世紀あまりに及びます。 国営川辺川ダム事業は1963年から続いた大洪水をきっかけに、球磨川の支流・川辺川に巨大なダムをつくり球磨川下流の人吉市や八代市などを洪水の被害から守ろうと計画されたものでした。 当初、ダムが建設されると村の中心部が水没する計画だった五木村は裁判闘争も繰り広げますが1996年「下流域の住民の安全のため」苦渋の決断で建設に同意します。 しかしその後、全国的な「脱ダム」の流れとともに下流域からも「環境問題」などで反対の声が高まり… 「人吉球磨地域に生きる人々にとって球磨川そのものがかけがえのない財産で守るべき宝なのではと思うに至った」(2008年9月議会 蒲島知事) 蒲島知事は川辺川ダム計画を白紙撤回を表明。 それ以降、堤防のかさ上げや河川の掘削などダムに代わる治水策を検討しますが1兆円を超える膨大な費用がネックとなり具体的な計画はできていませんでした。 そして、今年7月・・ 「12年間で(治水策が)できていなかったことが非常に悔やまれるダムによらない治水を極限まで検討する」(蒲島知事) 球磨川の氾濫による甚大な被害・・治水策は、「ダムも含めた」形へと大きく舵を切ったのです。 「一人でも多くの命が救われたのであればやはりダムは必要」(八代市の住民) 「(ダム建設は必ず海に影響は出る」「川の美しさ自然の良さを崩してほしくない」(球磨村の住民) 30回に及んだ意見聴取ではダムを容認、反対する立場の専門家からも考えを聞き、蒲島知事は19日の判断に至りました。 「知事としての判断はいいとは思いますけど、(地元の)市民の方の意見が反映されているかどうかは問題になってくると思います」(熊本市民)

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(2020/11/19)