「命のビザ」で神戸へ ユダヤ人難民との交流史刻む案内板、三宮に設置へ(産経新聞)

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 ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ人と神戸市民の交流史に光を当てる案内板が19日、神戸市中央区の旧ユダヤ共同体(神戸ジューコム)洋館跡地で披露される。「命のビザ」で知られる杉原千畝(すぎはら・ちうね)に救われて神戸にたどり着き、ここから約5千人のユダヤ人が新天地に旅立った。杉原の功績を示す記念碑の一つになるであろう案内板には、除幕を待たず急逝した研究者への鎮魂の意味も込められている。(河合洋成) 【写真】神戸ユダヤ共同体跡の石垣を示す山森大雄美さん  案内板は、神戸・三宮の神戸電子専門学校の校舎が建つ石垣横に設置される。石垣は同共同体の異人館東側に接していたもので、高さ約2メートル、幅約20メートル。昭和20年6月の神戸大空襲で焼失した異人館の存在を今に伝える唯一の痕跡という。  貿易港として発展した神戸には、多くのユダヤ人商人が移り住み、12年にユダヤ人協会と称される同共同体やシナゴーグ(ユダヤ教集会所)が設立された。その頃、ユダヤ人への迫害を強めるナチスドイツに対し、在リトアニア領事代理だった杉原が、亡命を求める現地のユダヤ人に日本への「通過ビザ」を発給。引き受け先が同共同体だったことから、多くのユダヤ人が神戸を訪れ、最長1年近く滞在したという。  この神戸受け入れの歴史を発掘したのが、神戸外国人居留地研究会理事の岩田隆義さんだった。小学校の校長を定年退職後、神戸にユダヤ人難民がいたことを知って研究に乗り出し、戦災で散逸した資料を収集した。  「消えてしまうかもしれない歴史を世に出したい」と、市民と温かい交流があった過去を追跡。近くの一宮神社宮司の山森大雄美(やまもり・おおみ)さん(83)、同専門学校を運営する学校法人「コンピュータ総合学園」常務理事の福岡賢二さん(53)らと検証を進めた結果、当時の写真に写っていた石垣と現在の石垣が同じであることを突き止め、異人館の場所の特定につなげるなど神戸のユダヤ人史を再確認した。  案内板は地元自治会や同学園などが市の助成を受けて製作。日本語と英語、ヘブライ語で書かれ、この場所がかつて「人道支援の地」だった史実を伝える。「神戸にはユダヤ難民に対して反ユダヤ主義はなかった。あったのはあたたかい思いやりとやさしさばかりだった」との同共同体メンバーの言葉も添えられている。石垣には今も、遠路シベリアを横断して来日した

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(2020/11/18)