「何でも良いからチームの力になりたい」。新井貴浩が語る、カープ復帰後初打席の思い出(前編)(広島アスリートマガジン)

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 今年カープが球団創立70周年を迎えたことを記念し、新井貴浩氏にカープファンだった幼少期も含め、カープにまつわる思い出を語ってもらう本連載。今回は、新井氏が忘れることのできない打席である、カープ復帰後初打席にまつわる思い出を語る。 【写真】愛弟子・堂林翔太選手と必死の表情で護摩行を行う新井さん ◆「帰りたいけど、帰っていいのかどうか…」。悩みに悩んだカープ復帰  今回は僕自身のことになるのですが、2015年にカープ復帰後初打席の話をメインにお話しさせていただきます。まずは、復帰後初打席を迎えるまでの思いから触れていきます。  僕は一度カープを離れていますが、2007年オフにチームを離れたときは『もう二度とカープのユニホームを着ることはないだろう』と思ってカープを出ていきました。ですが、2014年オフに阪神を自由契約になった後、まさかカープ球団から「もう一回帰ってこい」と言っていただけるなんて、夢にも思いませんでした。  ただ、すごく悩みましたよね。当時の率直な思いとしては『帰りたいけど、帰っていいのかどうか』というものでした。それこそ、FAでカープを出ていくときくらい、いや、それ以上に悩みました。『帰りたいけど、帰ってはダメだ』という自分もいたんです。なぜそう思ったかというと、一度出たときに、すごくバッシングもありましたし、カープに復帰しても応援されないんじゃないか、逆に帰ってもブーイングされるんじゃないか……と思っていたんです。ですが熟考した結果、カープに復帰すると決断したときは、『最後はカープのために頑張ろう、応援してくれなくても、それは一回出ていっている選手だし仕方がない』と、そこは自分の中で割り切っての復帰でした。  2014年11月には復帰会見で久々にカープのユニホームを着ましたが、『俺、またカープのユニホームを着てるよ』というような、どこか他人事のような感覚でしたね。もちろんうれしい気持ちはありましたし、緊張をしているし、信じられない気持ちだとか……いろんな気持ちが交差していました。  2015年の僕は春のキャンプから、ケガをしても良いと思うくらい自分を追い込みました。当時37歳でしたが、とにかくもう一回体をいじめて、負荷をかけて、とことん追い込んでいこうと腹を括って練習していたんです。もしもケガをしたら、自分はそこまでの選手、そこで終わり

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(2020/11/18)