DeNA・ラミレス監督の退任に寄せて ~初代球団社長・池田純氏が語る誕生秘話と今後への期待(VICTORY)

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 プロ野球・横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス監督が2020年シーズン限りで退任し、来季新監督として三浦大輔氏の就任が決まった。  チームを3度のクライマックスシリーズ(CS)進出に導き、「8番・投手」やレギュラー経験のない佐野を不動の4番として起用するなど、常識にとらわれない采配で話題もさらったラミレス前監督を2015年末に招聘したのが、DeNA初代球団社長で現在は男子バスケットボールリーグ3部(B3)・さいたまブロンコスのオーナーを務める池田純氏だ。これまで監督経験のなかったラミレス氏にチームを託した理由や今後への期待を「監督・ラミレス」の“生みの親”に聞いた。 ◇ ◇ ◇ 「まずは、お疲れ様・・・ですね」  横浜市の老舗ホテル、ニューグランドの一室で開かれた監督就任記者会見で並んで登壇した日から5年。長く続いた体制の終わりに、池田氏は感慨深げだった。  ラミレス氏がDeNAの監督に就任したのが15年10月のこと。DeNAとしての初代監督を務めた中畑清氏がリーグ最下位に沈んだ責任を取って辞任したことを受け、当時の球団社長だった池田氏が中心となり、白羽の矢を立てた。 「私としては、セ・リーグで首位だった夏に中畑さんには続投要請もしていて、なんとかして続けてもらいたいと考えていました。しかし、辞意を伝えられたことで怒涛の次期監督探しが始まった。多くの候補が上がる中で、会ってみようとなったのがラミちゃんでした」  そもそも、ラミレス氏との出会いは、かなり異色なものだったと池田氏は述懐する。11年末にDeNAが球団経営に携わることが決まり、池田氏が初代球団社長を務めることになった際、球団の代表電話に連絡してきたのがラミレス氏だった。 「怪しいですよね。代表電話の番号に関係者(代理人)を名乗る人からかかってきたのですから。ただ、とりあえず会ってみようと、中華街で春田さん(春田真氏、当時オーナー)とともに話をしたんです」  その年限りで巨人を構想外となっていたラミレス氏は、そんな売り込みの成果もあって選手としてDeNAに入団。13年には外国出身選手として初のNPB通算2000安打を達成するなど初期のチームで活躍した。 「選手として入団した当時から『将来は監督をやりたい』という話をしていました。その(ルートインBCリーグ・群馬に移籍し14年限り

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(2020/11/18)