世界一過酷なヨットレースに挑んでいる勇敢な6人の女性たち、ヴァンデ・グローブ最多(ナショナル ジオグラフィック日本版)

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 1989年に創設されたヴァンデ・グローブは、今ではセーリング界の最高峰と言われている。4年に一度開催されるこの危険なレースを完走することは、それ自体が快挙だ。これまでレースに参加した167人のうち、ゴールに到達できたのはわずか89人に過ぎない。  ヴァンデ・グローブのコースは、大西洋に面したフランスの街レ・サーブル=ドロンヌをスタートおよびゴール地点としており、世界三大岬(アフリカの喜望峰、オーストラリアのルーイン岬、南米のホーン岬)を越えて航行する。  とりわけ厄介なのは南極海で、スキッパーたちは強風と巨大な波、そして氷山と闘わなければならない。  ニュージーランドの脇を通り抜けると、艇はあらゆる地理的な目印から遠く離れた海域に入る。30ノット(時速約56キロ)の高速で航行していると、波にぶつかる衝撃はまるで車の衝突事故のようで、船外に投げ出される可能性もある。  そんな時は、いちばん近くから救助に向かえる者が、レースの参加者である場合も少なくない。サマンサ・デイヴィース氏は2008-2009年のレースの際、インド洋での事故で骨盤と脚を骨折したヤン・エリエス氏を救助するために迂回をしたスキッパーのひとりだ。  エリエス氏のような例は珍しくない。1993年には、ベルトラン・デ・ブロック氏が、緩んだロープが顔面を直撃して舌を切った。デ・ブロック氏は、医師からテレックス(第二次大戦の時代に開発されたFAXの前身)経由で届けられた指示に従って、針と糸を使って自分の傷口を縫い合わせた。  2000-2001年のレースでは、イヴ・パルリエ氏の艇のマストがインド洋の真ん中で折れてしまった。パルリエ氏は、自分のヨットと、ニュージーランド沖に浮かぶスチュアート島周辺の漂流物から素材をかき集めて、なんとかマストを再建した。しかしその後、氏はさらに大きな困難に直面する。食料が尽きかけていたのだ。魚と海藻で食いつないだパルリエ氏は、スタートから126日後にゴールした。  彼らはしかし幸運だった。ヴァンデ・グローブは悲劇と無縁ではなく、1992-1993年のレースでは参加者2人が海で命を落としている。

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(2020/11/18)