【カープの名スカウトの証言 浅井樹】カープ史上最強の代打コンビ“右の町田、左の浅井”。背番号6を背負った男が“仕事人”になるまで(広島アスリートマガジン)

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 各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。 【写真】「もっともっとバカを見せていこう」カープ指揮官が語った覚悟  ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。  今回は、1989年のドラフト6位でカープに入団。カープ打線が“ビッグレッドマシン”の愛称で他球団から恐れられた時代、左の代打の切り札として活躍した浅井樹の入団秘話をお送りする。 ◆体に似合わずおとなしい子でしたが、その分辛抱強くて素直だったから、花を開かせることができたと思います。  佐々岡真司(NTT中国)、前田智徳(熊本工高)と同じ1990年入団組の浅井。高校から入団した選手では前田のほかに仁平馨(宇都宮工高・外野手)、前間卓(鳥栖高・投手)、山口晋(島田商高・投手)がいました。  ただその5人の中ではあまり目立った印象がないんです。183cmの長身で、入団当時は今よりもっとふっくらしていましたが、身体に似合わず性格が非常に大人しいタイプだったと記憶しています。  富山商高時代は夏の甲子園に出場しホームランも打ったそうですが、私は指名まで彼を直接見た事がありませんでした。ただ彼を担当していた渡辺秀武スカウトから「身体が大きくて守りも足もいい強打の外野手がいます」という推薦を受けていたので「左バッターだし、下位でも良ければ指名しよう」という事になり、最終の6位で獲得しました。  他球団との競合もなく、すんなり指名できて入団にこぎつけられたのは、彼が早くから社会人野球への進路が内定していた事が大きいと思います。しかし渡辺は獲得を諦めていなかったようで「指名できればきっと入団してくれる」という報告をしていました。  指名する事が正式に決まってから、私はドラフト会議の少し前に、内定していた会社に「お宅に内定している浅井君をドラフトで指名させていただきます。誠に申し訳ありません」という断りの電話をしたのを覚えています。  この年は佐々岡など投手とともに、若い高校生野手を獲得する事が決まっていたので、前田、仁平、そして浅井と

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(2020/11/18)