【カープの名スカウトの証言 小林幹英】苦労人が見せた1998年、ルーキーイヤーの“新人王”級の活躍。3度目の正直に懸けた思い(広島アスリートマガジン)

【リンク先抜粋】
 各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。 【写真】まさかの単独指名。カープ・森下暢仁が語ったドラフト直後の思いとは……  ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。  今回は、1997年のドラフト4位でカープに入団。1年目からリリーフとして54試合に登板、9勝18セーブを挙げる活躍をみせた小林幹英の入団秘話をお送りする。 ◆小学生の頃に広島に住んだ事があり、市民球場にも通ったという、カープにはとても縁のある選手なのです。   野球漫画の超ロングセラー「ドカベン」シリーズに登場する、主人公達が活躍した明訓高校は、原作者・水島新司の実家の近くにある高校から名付けたと言われています。  その新潟明訓高を現実に1991年の夏の甲子園に出場させたエースが小林幹英です。2年生の時から豪腕投手としてプロ野球のスカウトにも知られていましたが、制球力が定まらず、まだ粗削りだった事もあって、この年のドラフトでは彼は指名されず、専修大に進学しました。  専修大は、カープでは法政大、駒澤大と共に出身者の多い大学(2004年時点)で、昭和50年代の黄金時代を築いた古葉竹識元監督と寺岡孝元コーチ、現役選手では町田康嗣郎と黒田博樹を輩出しています。  小林幹英は黒田の1年先輩でしたが、その頃の専修大は強豪揃いの東都大学リーグの中では二部リーグでした。しかし小林はエースとして4年間で18勝を挙げ、最後の年には念願の一部リーグ昇格を果たしました。この活躍が評価され、1995年秋のドラフトでは、ある球団と上位指名の確約ができたと言われています。そのため、我々カープも小林の活躍はもちろん知っていましたが、指名を断念するしかありませんでした。  しかしその球団は、ドラフト会議直前に小林の指名を見送りました。どうやら「(レベルの落ちる)二部での活躍だから、プロで活躍できるかどうか……」という理由だったようです。彼は二度目の指名漏れとなり、社会人のプリンスホテルに入社しました。  プリンスホテル時代の2年間では、入

続きはこちら

(2020/11/18)