なぜ男たちはダークスーツに身を包むのか──4人の男性学ファッション論(GQ JAPAN)

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どんな色でも身に着けることができるのに、なぜ男たちはダークな色を選びがちなのか。 19世紀に本格化した産業革命のなかで、社会の中枢へと躍り出た資本家たちは、好んでダークな色のスーツに身を包んだ。これと対照的に、女性のファッションが華やかになっていく不均衡に着目し「男性の偉大な放棄」と述べたのは精神分析家のJ.C.フリューゲルであった。彼はこの現象に、華やかな貴族社会に対する資本家たちの禁欲的な自己認識を見たのである。 しかし、事はそう単純ではあるまい。装飾を捨て、機能性とシルエットに重きをおいたように見えながら、細部こそ重要だとスーツは述べている。生地の質感、織り、Vゾーンの構成、ゴージの位置、ラペルの細さといった微細に変化する意味体系によって、男性は密かに競い合ってきたのだ。 ダンディズムを体現したボー・ブランメルは、タイを結ぶことに数時間もかけたようだが、それは何の配慮もなく結ばれたかのごとく見せかけるためだった。飾ろうとする意識を悟られては負けなのだ。資本家が放棄したのは、装飾ではない。装飾の背後にある個の表出を放棄し、スーツのシステムのうちに自己表出を巧みに隠した。重厚な色が好まれたのも、禁欲を象徴的に示すにふさわしいからではなかったか。 しかし、20世紀になって、資本家の巧みなシステムも徐々に瓦解していく。個や肉体が賛美されるようになる。若者たちはスーツのシステムを崩して、自分のものにした。女性もまた、男性的な色を自分のものにしていく。たとえば黒。シャネル、ソニア・リキエル、川久保玲、アン・ドゥムルメステールらによって、女性たちの定番色となった。 成人男性はどうか。21世紀の現在、鮮やかな色彩を身に着けることに躊躇はなくなったのだろうか。60年代後半に提唱された「ピーコック革命」を経て、彼らもまた色彩の世界に足を踏み入れる頻度が増えたかというと、話はそううまくはいかないようだ。 日本を例にとろう。それなりに華やかに着飾っていた若者時代を過ぎると、男性は「リクルートスーツ」に身を包み、ダークスーツの魔力に身を委ねてしまう。あれほど、就活ルックの画一性を嫌悪していたはずなのに。19世紀の資本家たちの呪いは、かくも魅力的で強固なものであるとしても、なぜだろう。 理由のひとつに、体形補正がある。ダークカラーは収縮色であり、目の錯覚を利用して痩身的かつ

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(2020/11/18)