『姉ちゃんの恋人』有村架純×林遣都の笑顔が胸に突き刺さる理由(FRIDAY)

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「コロナを描くか・描かないか」「リアリティを重要視するか、現実を忘れさせてくれるエンタメに完全に振り切るか」という軸で、大きく二極化が進んでいるドラマ界。 【画像】有村架純 下町の居酒屋で「存在感ありすぎ!」のドラマ現場 そんな中、コロナを直接描くのではなく、おそらく「アフターコロナ」と思われる現在の日本と似た未曽有の状況の“ちょっと先の世界”を描いているのが、有村架純主演の『姉ちゃんの恋人』(カンテレ)だ。 脚本は、2019年に紫綬褒章を受章した岡田惠和。NHK連続テレビ小説『ひよっこ』をはじめ、有村架純とは6作目のタッグとなる。 正直、「コロナ」に似た状況があった、現実に近い非日常の世界において「リアリティ」を描くドラマとしては、抜きん出た作品だと思う。 しかし、「何気ない日常」を描く岡田作品は、わかりやすいあらすじや、SNSでバズる要素がないだけに、常に一定層の熱心なファンがいる一方で、数字的な大ヒットや社会現象にはなりにくい。ファンにとってはおそらく「それが何か?」という感覚だろうが、良質な作品が多数の人に触れられないのはやっぱり惜しい。 ともすれば「自分、情緒不安定か?」とツッコミたくなるほど何気ないシーンでこそ毎回泣かされてしまう特異なドラマ『姉ちゃんの恋人』の魅力を改めて考えてみたい。 本作では、第一話で手指の消毒をしているカットが挟み込まれたり、客がマスクを争って買っていた時期があったこと、春ごろに自粛が叫ばれていたこと、「我が家は密で密で」といった会話などが登場したりと、コロナの現状と重なるリアルが描かれている。 まず途中段階で仮タイトルとして発表されていた「肝っ玉姉ちゃん」は、盛大かつ意図的なミスリードだと思っている。しかし、だからこそ、作品を観れば観るほど泣けてくる。 第一に有村架純が「肝っ玉姉ちゃん」を演じると言う違和感。「肝っ玉」という言葉でイメージするのは、小さなことは気にしない豪快さ、大胆さを持ち、ちょっとがさつで、大きな声で喋り、笑う、いつも元気で上機嫌で、包容力ある、昔からの「肝っ玉母ちゃん」像だろう。しかし、あの有村架純が演じるのに、がさつな女性であるわけがない。 そこに、「姉ちゃん」である有村演じる桃子がなぜ「肝っ玉」になったのかという背景が見えてくる。なぜなら、桃子は高校3年生のときに両親を事故で亡くし、大

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(2020/11/18)