「古典」を読めば現代社会をもっと「楽」に生きられる!(教員養成セミナー)

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 よく、こう言っています。人間が考えることや思い悩むことなんて、いつの時代も意外に似たり寄ったりだ。そして哲学は、その2500年の歴史の中で、実はそのほとんどに、すでに“ 答え” を出しているのだと。  たとえば、「よい」社会とは何か。どうすればそのような社会を作れるか。「幸せ」とは何か。どうすれば幸せになれるのか。よい人間関係とは何か。どうすればそんな関係を築くことができるのか……。  もちろん、新しい時代には新しい時代の難問があります。でも、そうした新たな難問もまた、これまでの思想のリレーを受け継ぐことでこそ、力強く解き明かしていくことができるものです。  しかし残念ながら、今、哲学はあまりに専門的、また難解になりすぎて、一般読者からはあまり読まれなくなってしまいました。その結果、多くの人は、先人たちがせっかくさまざまな問題に答えを出してくれているにもかかわらず、その思想のリレーを受け継ぐことなく、いわば徒手空拳で、ゼロからあれこれ思い悩んでしまっています。  事情は教育についても同じです。教育とは何か、そしてそれは、どうあれば「よい」と言えるのか。教師とは何か。どのような教師が「よい」教師なのか。こうした問いの答えを、教育について深く考えてきた哲学者たちは、すでにさまざまに提示してくれているのです。  もちろん、それは絶対に正しい答えではありません。でも、すでに長い思索の歴史があるのであれば、私たちはまずそれらに通じ、その上で次の思索を展開していった方がはるかに意義深いに違いありません。そして、何百、何千年の歴史の風雪に耐えてきた思想には、やはりそれだけの力があるのです。  でも、今ではほとんどの教育学部生は、いや、現職の先生や教育行政関係者、さらにはもしかしたら教育学者たちでさえ、そうした古典的名著を読むことがあまりなくなってしまいました。その結果、物事の本質をじっくり考えるというよりは、ごく短い賞味期限しかないようなノウハウを求め、さまざまな方法をパッチワークし、その場しのぎの実践や政策を打って右往左往しているケースも少なくありません。  でも、歴史的な巨人たちの肩に乗れば、問題の解決策は、はるか遠くまで見渡せるに違いないのです。

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(2020/11/17)