「THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女」越境児童、未婚の両親、iPhone密輸の背景を徹底解説(映画.com)

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 第14回大阪アジアン映画祭のコンペティション部門で上映された「THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女」(映画祭上映時のタイトルは「過ぎた春」)は、深センと香港を“越境通学”する女子高生の物語だ。メガホンをとったバイ・シュエ監督は、6歳の頃、両親と深センで暮らし、隣接する香港の文化も影響を受けて育っている。そんな彼女が注目したのは、深センと香港を行き来する時に、イミグレーションを通過する児童、いわゆる越境通学児童だった。  この特殊な集団をテーマとする映画の製作を決めたバイ・シュエ監督は、2015年から2年間もの歳月をかけ取材を開始。3万字の取材メモ、数百枚もの写真と映像資料をもとに、17年に脚本が完成。同年、万達影業(Wanda Pictures)の出資を得て撮影をスタートさせ、18年に作品を完成させている。  生み出された物語は「父親が香港人、母親が中国人の女子高校生ペイが、深センから香港の高校に通ううちに、スマホ密輸グループの犯罪に巻き込まれていく」というもの。本作は、あまり認知されていない作品背景をおさえておくことで魅力が倍増する。香港や華南地域に詳しい東京大学・谷垣真理子氏のコメントを交えながら、その実態を解説していく。 ▼越境通学児童の発生背景とは?  谷垣氏によれば越境通学児童とは「香港の永住権を持ち、深センに住み、香港の学校に毎日通う子どもを指す。香港教育の統計によれば、現在、2万5000人以上の越境児童が存在し、幼稚園から高校まで通う」とのこと。その誕生は、1990年代、香港と中国大陸との経済関係が深まる頃だった。  谷垣氏「当時は中国大陸で働く香港人の子どもが主体であった。1978年、中国は改革・開放政策へと本格的に舵を切り、翌1979年に深センが経済特区となった。1985年には広東省の珠江デルタが開放され、香港の製造業は続々と中国大陸へと生産拠点を移していた。06年に深セン市は外地児童が深センで義務教育を受けるための条件を厳格化した。08年にはリーマンショックで深センの香港系企業が相次いで倒産し、香港からの進出企業関係者は家族とともに香港にもどった」  08年以降、“越境通学児童”の主役となったのは、両親がともに香港永住権を持たない「双非児童」。「2001年、香港の終審裁判所(最高裁)が『双非児童』である荘豊源に香港永住権

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(2020/11/17)