GK権田修一が語る「W杯で『頼りになる』選手にならなければ意味なし」【森保J再出発 欧州組たちの現在地】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【森保J再出発 欧州組たちの現在地】  権田修一(ポルティモネンセ・GK・31歳) 「(自分の代表キャリアが)順調じゃなかったのは間違いないですよね」。1―0で勝利した13日のオーストリア遠征・パナマ戦。元代表GKの楢崎正剛(名古屋CSF)の7戦連続無失点記録に並んだ権田修一は、下積みの長かった10年間をしみじみと語った。   ◇  ◇  ◇  元代表DF内田篤人(JFAロールモデルコーチ)とともに2004年AFC・U―17選手権に参戦した頃から「未来の日本代表GK」の呼び声が高かった。岡田武史監督時代の10年1月のイエメン戦で順調にA代表デビュー、ザックジャパン時代は代表常連の地位を勝ち得た。  だが、眼前にはつねに川島永嗣(ストラスブール)という高い壁があった。14年のブラジルW杯も川島、西川周作(浦和)に続く3番手で出番なし。18年ロシアW杯を目指し、再始動した直後の15年にはオーバートレーニング症候群を発症。思わぬ不振に陥った。  心機一転を図るべく、16年1月に欧州移籍を決断。中学から在籍したFC東京を離れ、本田圭佑(ボタフォゴ)が経営に携わっていた当時オーストリア2部SVホルンに赴いたものの、ケガもあってA代表から遠ざかった。17年2月の鳥栖移籍後も日の丸復帰はままならず、ロシアW杯は選外となった。  そんな権田が復活のきっかけをつかんだのは森保日本発足後。鳥栖での活躍ぶりに着目した指揮官と下田崇GKコーチに抜擢され、19年アジア杯を初めてA代表正GKとして戦った。ここで準優勝に甘んじ、飛躍の必要性を痛感した権田は直後に2度目の欧州挑戦に踏み切る。それが現所属のポルティモネンセだ。ポルトガルでは浮き沈みを味わい、今季はいまだ出場ゼロの苦境にいるが、自らを奮い立たせてここまでやってきた。 「(パナマ戦が)18試合目とは知らなかった。僕と一緒にデビューした吉田麻也(サンプドリア)が100試合を超えたのに、自分は期待に応えられなかった。7戦無失点で並んだ楢崎さんにもホント失礼だなと感じます(苦笑)。もっとレベルを上げていかないと。W杯の大事な場面で『権田、頼りになるよね』って選手にならないと代表に来る意味がないんで」  31歳にしてチーム最後尾の大黒柱になりつつある男は際限ない。このままクラブで出番なしが続けば、今冬のJリーグ復帰も辞さないと

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(2020/11/17)