【ジャイアント・キラー】MG J4レーサー ブガッティやアルファに挑んだベビーK3 後編(AUTOCAR JAPAN)

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text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ) photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー) translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)   ハンディキャップ・スタートの流れで、1933年RACツーリスト・トロフィーのオープニング・ラップを制したのは1083ccのライレー。しかし、ハミルトンのMG J4も2秒遅れで続いた。その後方では、ヌヴォラーリがドライブするMG K3が、大きなアルファ・ロメオ8Cに迫る速さを見せていた。 【写真】J4 同時代のアルファとブガッティ (58枚) ハミルトンのペースは見事なもので、定期的にラップレコードを塗り替えるほど。最初の1時間が経過する頃には、レースを完全にリードしていた。 チャレンジングなロードコースということもあり、レースが進む中で数台のJ4が脱落。快走していたライレーもリタイヤし、ヌヴォラーリのK3は4位へと順位を上げる。 J4をドライブするハミルトンは、ピットストップでペースが狂う。給油を焦るあまりライディング・メカニックに燃料が飛散。スターターボタンの不調でスイッチをスパナを使ってバイパスすると、手袋に引火してしまう。 7分のリードを失ったハミルトンは遅れを挽回しようと、激しくJ4を攻め立てる。しかしヌヴォラーリは、47秒先行して周回していた。 残り15周。ハミルトンは語り継がれる走りを見せ、トップへ9秒差に迫る。ところが燃料が尽き、ピットストップを余儀なくされる。 20秒のピットストップを終え、ハミルトンのJ4はコースに復帰。一方のヌヴォラーリのK3も燃料タンクが空になり、残り2周でエンジン・ストップ。メカニックのアレック・ハウンズローはとっさにリザーブタンクへ切り替え、K3のエンジンは息を吹き替えした。

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(2020/11/15)