「モアイは歩いた」、イースター島の伝承と文明崩壊の謎【古代文明、謎の魅力】(ナショナル ジオグラフィック日本版)

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 南太平洋に浮かぶイースター島(現地名ラパヌイ)の文明はなぜ崩壊したのか。これまで多くの研究者がこの謎に挑戦してきた。世界的に有名な「モアイ像」も、長く続く議論に巻き込まれている。それは、モアイが島の文明崩壊を早めたのか否かというものだ。 【動画】モアイ像を歩かせてみた、実験の様子  早めた派の1人が『銃・病原菌・鉄』で1998年のピュリツァー賞を受賞したカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授のジャレド・ダイアモンド氏だ。モアイは首長たちの力の象徴で、彼らはより大きな像を建造しようと競い合った。石像は木製のそりに載せられ、木のレールの上を引きずって運ばれたとダイアモンド氏は考えている。  この運搬方法は1980年代に実証されていたが、大量の木材と多くの人手が必要だ。人が多ければ必要な食料も増え、さらに多くの土地を開墾しなくてはならない。やがて内戦が始まり、人々はモアイを倒し始め、19世紀までに立っている像は1つもなくなった。  イースター島の文明崩壊は、資源の乱開発が社会の崩壊を招いた明確な事例であり、モアイがそれに拍車をかけたとダイアモンド氏は2005年に『文明崩壊』に書いている。これは古くから通説とされてきたシナリオでもある。  対して、島には「モアイは歩いた」という伝承があり、実際に歩かせて運んだと発表した研究者がいる。もしそうであれば、運搬に木材を切り出す必要はなく、イースター島の文明が崩壊した理由も変わってくるだろう。  そうして従来の文明崩壊プロセス全体に再考を迫っているのが、米オレゴン大学のテリー・ハント教授と米ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のカール・リポ教授だ。両人類学者はイースター島の先住民ラパヌイの考古学者セルヒオ・ラプ氏とともにモアイを観察し、太った腹部のおかげで前に傾けやすく、まるみをおびた重い底部を中心に左右に揺らすことができると考えた。そして、「モアイはロープと人の力だけで左右に揺らし、直立で移動するように設計された」と発表した。  2011年11月、ナショナル ジオグラフィック協会が支援した実験で、ハント氏とリポ氏は3本の頑丈なロープを用意。わずか18人が少し練習しただけで、高さ3メートル、重さ5トンのモアイのレプリカを短時間に数百メートル動かせると証明する。なお、丸太は使用していない。  実は1986年に、チェコの技

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(2020/11/15)