実在したスリランカの空中宮殿、幻のバビロンの空中庭園【古代文明、謎の魅力】(ナショナル ジオグラフィック日本版)

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 時ははるかに下り、英国の植民地時代。ジョージ・ターナーという英国人の公務員がスリランカに赴任する。貴族で学者、熱心な歴史家でもあったターナーは、仏教の僧と協力して5世紀に書かれたスリランカの年代記『マハーワンサ』『チューラワンサ』を読み解き、シーギリヤという要塞宮殿があったことを突き止めた。  1827年、英スコットランドの役人ジョナサン・フォーブスがターナーと出会い、親交を持つようになる。ターナーからカッサパ王と宮殿に関する物語を聞かされたフォーブスは、そのありかを探そうと思い立ち、1831年、地元の人々に教えられた場所へ出かけていった。  シーギリヤと思われる場所を発見したときの感想を、フォーブスは回想記『セイロンで過ごした11年間(Eleven Years in Ceylon)』で次のように綴っている。 「周囲にどこまでも広がる森を、しかめ面で見下ろすシーギリヤの岩」。近づくと、岩肌に作りつけられた通路や壁画が見えた。同行した2人が途中まで登ってみたが、岩が崩れ、「はるか下にあった木々の間に落ち込んでいった」という。  ここが文献に書かれていたシーギリヤなのかわからないまま、フォーブスは探検を切り上げる。それから数年後に同じ場所へ戻ると、岩のふもとにあった庭園の周囲に堀の跡を見つけたが、岩には登らなかった。ライオンに関係するものは何一つ見つからなかったので、シーギリヤという名は本当にライオンと関係があるのだろうかと疑問を抱いたままだった。

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(2020/11/14)