【カープの名スカウトの証言 河内貴哉】3球団競合の末の“ラッキーストライク”。背番号24を託された高校No1左腕(広島アスリートマガジン)

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 各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。 【写真】相思相愛の想いが実った運命のクジ引き。ドラ1戦士が語ったドラフト会議当日の舞台裏  ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。  今回は、1999年ドラフト会議で3球団競合の末、ドラフト1位でカープに入団した、高校No1左腕・河内貴哉の入団秘話をお送りする。 ◆長身からの速球とカーブが“一級品”でした   カープ史上最高の左腕である大野豊氏の背番号「24」を受け継いだのが河内貴哉です。187cmの身体から140キロ台の速球と大きなカーブを投げる本格派のサウスポーで、1999年秋のドラフト会議では“高校生の目玉”といえる存在でした。  中学生時代にシニアリトルリーグで全国大会3位になるなど、早くから好投手として知られ、國學院久我山高1年生の頃から、担当の苑田スカウトがマークしていました。ただ私が彼を初めて見たのは3年生となった最後の夏の西東京大会でした。これは彼が2年生の春に肩を痛め、9月までリハビリに専念していて投げなかった事も関係しています。  東京では彼のピッチングを2試合見て、うち1試合は八王子まで行きました。第一印象としては、ストレートの速さに加えて、カーブも大きく割れて良かったと感じました。やや細身でしたが身体が大きいので、順調に育てば先発ローテーションに入れる投手になれると感じました。腕の振りやヒジの使い方もほとんど問題はありませんでした。  ただしコントロールについては、ある程度の不安はありました。走者もなく、打者も下位打線というプレッシャーがほとんどない場面で、いきなり四球を与えてしまう場面を実際に目にしました。また、やや下半身が弱く見えた事と、ステップする前足(右足)が正面よりやや内側になる癖も気になりましたが、私は「身体を鍛えて投げ続けていけば、将来的には克服できるだろう」と思っていました。  西東京大会は、決勝で延長12回の末、日大三高に敗れ、甲子園には行けませんでした。しかし同大会でのピッチングから、

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(2020/11/14)