故郷・七尾を沸かせた輪島のデビュー戦 その後2年余りで寂しい引退(夕刊フジ)

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 【今日も一緒にプロレスを楽しみましょう!】  1986年、38歳にしてプロレスラーに転身した元横綱・輪島大士の日本デビュー戦は、故郷の石川県七尾市で11月1日と決まった。  約半年の間、米国各地でプロレス特訓に臨んだが、ジャイアント・馬場がほぼ帯同。自らも指導をした上に、各地の名伯楽たちに育成を託した。米マット界での馬場の顔があればこその英才教育で、各地区のプロモーターたちも快く協力してくれたのだ。  実は米マットでデビューを果たし、数試合、闘っていた。馬場とタッグを組んだり、馬場が見守る中、シングルマッチに臨んでいた。日本に報道されることはなかったが、日本デビュー戦の対戦相手を決めるための試金石でもあった。  輪島の日本デビュー戦の相手には「狂虎」タイガー・ジェット・シンが選ばれた。サーベルを振り回し、コブラクローで喉元を絞り上げる狂乱ファイトで、日本中を震え上がらせた男だ。アントニオ・猪木に馬場など、トップ選手も手こずった悪党である。  果たして、輪島もシンの暴走に苦戦を強いられたが、反撃に打って出る必死のファイトに、地元の観客は熱狂。生中継された日本テレビの視聴率も、期待通りの数字を叩き出した。  後々、輪島のプロレス引退後に、七尾市でのイベントで猪木と輪島が共演した。すでに馬場は亡くなっていたが、猪木は「同期とはいえ、5歳年上でライバルというよりも兄貴のようだった」と馬場への想いを明かした。輪島は「七尾でのデビュー戦の時に、シンが投げたイスがセコンドについてくれていた馬場さんに当たってしまった。馬場さんが崩れ落ちた。痛かったみたい」と、楽しそうに振り返っていた。  公の場ではもちろん、二人っきりになっても、輪島の口から人の悪口が飛び出すことはなかった。酔っぱらった勢いで「嫌なこともあったでしょ?」と迫っても、大相撲やプロレス関係者への悪態はついぞ聞かれなかった。  天下の横綱レスラーに「わーさん、わーさん」とため口を利いても「なんだよ」と笑って何でも答えてくれた。「間違えてキャットフードを食べてしまったというのは、本当なの?」と失礼な問いにも「ああ、ドッグフードな。意外といけたぞ」とあっさり。七尾市・和倉温泉の「日本一の宿」加賀屋に、何度もお世話になった。  天皇、皇后両陛下がお泊りになったという最高級の部屋で、輪島と一緒にまったりとした

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(2020/11/13)