「二百三高地」 過酷ロケの中でもひときわ目を引く演技 炎天下に冬服で汗だらだらに(夕刊フジ)

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 【あの日から35年 夏目雅子という大輪】  夏目雅子は1976年、テレビドラマ『愛が見えますか…』(日本テレビ系)の盲目のヒロイン役で女優デビュー。オーディションで選ばれたが、撮影では57回連続でNGを出し、「お嬢さん芸」と言われた。 【写真】その美しさで今も多くの人の記憶に残る夏目雅子  そんな夏目が注目されたのは77年のカネボウ化粧品のキャンペンガール。この時のCMディレクターが伊集院静だったのは運命というべきか。  映画初出演は『トラック野郎 男一匹桃次郎』(77年)。そして2本目が『二百三高地』(80年)だ。日露戦争の旅順攻略を描いたもの。司令官だった乃木希典(仲代達矢)と、ヤクザやたいこ持ちなど兵士たちの悲惨な姿を描写している。夏目が演じたのは反戦活動家である佐知だった。  本作の大問題は製作費だった。当時の映画は2~3億円が相場。黒字を出す監督として信頼の厚かった舛田利雄監督に打診すると「20億円くらいないとちゃんとしたものは作れない」という。  当時、東映東京撮影所長だった幸田清は13億5000万円という嘘の予算を練り上げ、社長の岡田茂に提出。岡田は嘘を見抜いたがさすが経営者、交換条件を出した。「前売り券を10万枚売れ」。幸田は後に自著『活動屋人生こぼれ噺』で明かしている。  脚本の笠原和夫は3年の歳月を費やし、史実に忠実で完璧なシナリオを作り上げた。まさに執念だった。製作費は15億円で収まり、配給収入は18億円だった。  音楽監督の山本直純は主題歌をさだまさしに依頼したが、「勝ったとか万歳を書くんですか」と問われ、「そうじゃない。人間の小さな営みを浮き彫りにした映画にしたい」と答えたという。それで名曲『防人の詩』が生まれた。  実際の戦闘は冬だったが撮影は真夏。俳優陣は炎天下に冬服を着て、汗だらだら。ワンシーンごとに裸になって汗を拭かねばならず、すごく体力を消耗したという。その中でかれんな夏目の出演シーンはひときわ目を引いた。  2003年、全国で夏目をしのぶ展示会が行われた際、会場を訪れた当時東映相談役だった岡田が、夏目の出演作をめぐり「ウチの映画は、まだDVDになっとらんのか」と発言し、本作と『トラック野郎 男一匹桃次郎』『大日本帝国』が初DVD化されることになったという。(望月苑巳)  ■夏目雅子(なつめ・まさこ)195

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(2020/11/13)