中村泰士 大阪でモテモテのスターが東京で味わった挫折 「今は幸せかい」失恋にもがき苦しんだ心のままを歌に(夕刊フジ)
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【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】
ちあきなおみの『喝采』(1972年)は悲しい物語。一方、細川たかしの『北酒場』(82年)は明るく陽気な歌。ともに中村泰士さんの大ヒット曲だ。何とも対照的な楽曲。歌には作る人の人柄が出るもので、いくつかの涙の河を渡った人しか喜びもつかめないであろうと想像した。
【写真】「A4M JAPANアンチエイジングアワード2019」で大賞を受賞した中村泰士
77年ごろ、会社の作家招待ゴルフコンペでお会いした中村さんは、とにかく明るい笑顔で、暗さがみじんもない人だった。
作曲家になる前は大阪では有名なロカビリー歌手だった。60年前半に上京して美川鯛二の芸名でデビューしたが、鳴かず飛ばずに終わる。大阪ではモテモテのスターだった男が初めて味わう大きな挫折感だった。
売れていないとはいえ、東京でもステージに立てば、若い女性にはもてはやされる。そんな日々を送るころ、交際していた女性が突然姿を消した。自己嫌悪に陥った中村さんは歌手に見切りをつけて大阪に帰る。
生きるため、音楽以外の仕事もしたそうだ。時間がたつにつれ音楽への思いが募り、再度上京を決意する。そして、仲の良かった佐川満男(80)のもとに転がり込んだ。
しかし、どんなに時を経ても、あの女性への思いが断ち切れなかった。別れて初めて知る悲しみに、胸が張り裂けんばかりにもがき苦しんだ。どうにもやるせない気持ちを歌にした。それが『今は幸せかい』だった。真っ先に聞いた佐川は「これは売れる」と思ったという。
68年、『今は幸せかい』は佐川の歌で発売された。もう少し早く知り合っていたらとか、わがままが過ぎて愛想をつかれてしまったとか、多くの男がそんな経験を持っているだろう。
そのころ高校生だった僕も素人の第六感というやつで、これは売れると思った。佐川が伊東ゆかりと離婚したことも知っていたので、楽曲と歌手がリアルに重なった。
本当の心のままを、素直に言葉とメロディーに表現したものは人の心に通じるもの。作家は、これだというイメージが湧くと短時間で作品ができるという。最初に浮かんだ言葉、メロは直さないともいう。
81歳になった今もなお、歌手として全国ライブをすると意気軒高である。
■中村泰士(なかむら・たいじ) 作曲家。1939年5月21日生まれ、81歳