音楽で旅する世界~From ミシシッピ to the ワールド「“悪魔との取引”クロスロード伝説」をめぐる旅(サライ.jp)

【リンク先抜粋】
小平尚典(以下小平):現在はコロナ騒動で海外に出るのが難しいから、この連載ではロックンロールというアメリカの重要な観光資源にフォーカスして、ミュージシャンやそれぞれの音楽ゆかりの地を紹介していきたいと思うんだけど、まずはローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどに大きなインスピレーションを与えた伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンについて話しましょう。 桑田英彦(以下桑田):ロバート・ジョンソン(1911年5月8日ミシシッピ州ヘイズルハースト生まれ)は1か所に定住することなく、人生の大半をホーボーとして暮らしました。ミシシッピを飛び出して旅を続け、シカゴ、デトロイト、ニューヨーク、そしてカナダまで足を伸ばしていたようです。生前録音した29曲の中からは『テラプレイン・ブルース』が5000枚を超えるローカル・ヒットとなりました。すでに女癖に関して悪評の高かった彼は、このヒットで少しだけ知られる存在となり女癖の悪さに拍車がかかったと伝えられています。結局、この女癖の悪さが命取りとなるのですが。 小平:聞くところによると人の女に手を出して毒殺されたとか? 桑田:1938年の夏、彼はミュージシャン仲間のハニー・ボーイ・エドワーズと共に、「スリー・フォークス」というジューク・ジョイントで数週間演奏するためミシシッピ州グリーンウッドに向かいました。この店のオーナーの妻は扇情的な女で、ロバート・ジョンソンの女癖の悪さに瞬く間に火を点けたようです。グリーンウッドの町でデートを繰り返す2人の仲は、間もなくオーナーである夫に知られてしまいます。そして週末の夜、嫉妬に狂った夫は、何食わぬ顔で店に出演していたロバート・ジョンソンに毒を盛ったウィスキーの小瓶を手渡したんです。ハニー・ボーイは「開封されたウィスキーは飲むな!」と忠告したらしいのですが、彼は疑いもせずこれを飲んでしまった。店で倒れた後、もがき苦しみながら2日間はなんとか持ちこたえましたが、まもなくロバート・ジョンソンは肺炎を発症して、わずか27歳で亡くなりました。

続きはこちら

(2020/11/07)