アテネの表彰台で聞いたメロディーだけの「君が代」が心に刺さった【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】#35  オーストラリアとの準決勝に敗れ、どん底にいた僕らを救ってくれた長嶋監督からのFAX。長嶋監督を勇気づけるためにと戦ってきた日本代表が、最後は逆に励まされ、翌日の3位決定戦に向けて立ち上がれたのです。相手は強豪カナダ。しかし、すべての重荷から解放された日本代表は11―2で圧勝し、銅メダルを手にすることができました。  それまではむしろ相手より重圧と戦ってきた僕らにすれば、五輪の舞台を初めて実感できたのがこの3位決定戦です。選手もコーチ陣も、中畑監督代行も少年のように目を輝かせ、最後の一球まで野球を楽しめた。そんな最後の試合、中畑監督代行と大野豊投手コーチが「マサ、行こう!」と九回のマウンドを託してくれました。  先頭打者をセンターフライに打ち取ると、続く打者をライトフライ。そして最後も右翼に高く上がった打球を福留孝介がグラブに収め、日本の3位、銅メダルが決定しました。  ファンのみなさんが期待していた色のメダルではありませんでしたけど、もし、長嶋監督からのねぎらいのFAXがなければ、ここまで伸び伸びと野球ができたかどうか。僕はこの時、表彰台で流れた「君が代」を今でも鮮明に覚えています。  プロ野球では試合直前に必ず君が代が流れ、プロの歌手が歌うこともあります。それはそれで素晴らしいのですが、遠くアテネの地で響いた君が代は格別でした。国旗掲揚台に日の丸が揚がり、静寂の中、君が代のメロディーだけが流れる。それだけなのに今までで一番、心に刺さりました。  君が代の言葉の意味とか、そういうものではありません。あの時の気持ちを何と表現すればいいのかは分かりません。ただ、「ああ、これが君が代なんだ」と。歴代の五輪メダリストが表彰台で神妙な表情になるのはこういうことだったのかと、初めて理解できた気がしました。おそらく、あの時の気持ちを感じることは、もう二度とないんでしょうね……。  帰国後は思ったよりバッシングが少ないと感じました。もちろん、銅メダルを非難する論調のメディアも中にはありましたが、多くのファンは僕たちが必死に戦う姿を応援してくれていたのだと思います。  これが凡ミスで負けていれば話は違ったでしょうけど、最後は勝って銅メダル。「よく頑張ったね」という声に、僕ら代表選手は胸を張りたいと心底、思ったのです。

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(2020/11/07)