石造りの埴輪変遷たどる特別展 福岡県八女市「いわいの郷」(産経新聞)

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 朝鮮半島の新羅と結び、ヤマト政権に反乱を起こした北部九州の古代豪族「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」関連の資料を展示する福岡県八女市の岩戸山歴史文化交流館「いわいの郷」で、石造りの埴輪(はにわ)を集めた「石製表飾品の変遷~盛期から衰退期まで」展が開かれている。同交流館が開館して5年になるのを記念した特別展で、地元八女市をはじめ、熊本県や佐賀県から出土した武具や女性をかたどった表飾品など41点が展示されている。29日まで。(永尾和夫)  石造りの埴輪はこれまで「石人、石馬」などと表現されてきたが、人や馬だけではなく、さまざまな形があることが分かり、最近では「石製表飾品」と呼ばれるようになった。  「石製表飾品」は阿蘇の凝灰岩を彫刻したもので、磐井の墳墓とされる同交流館隣の岩戸山古墳からは100点以上が出土。磐井の勢力範囲だった熊本県の有明海沿岸や大分、佐賀に分布するという。  今回は熊本県から7点、地元八女市から2点、佐賀県から1点の計10点を新たに追加展示し、時代の進展とともに変化した石製表飾品の特徴を探った。それによると、「磐井の乱」が起きた527年前後は盾や矢を入れる靫(ゆぎ)が、熊本地方の豪族「火君(ひのきみ)」居城とされる姫ノ城古墳(熊本県氷川町)などから出土しており、軍事的な緊張感が伝わってくる。  しかし、磐井の乱が終わった6世紀半ばから後半になると、八女市の童男山(どうなんざん)古墳群から出土した「子負いの女性石人」や「正座した石人」が出現する。「子負いの女性石人」は、高さ65センチ、重さ43キロで、母親の背中にしがみついている子供を確認できる。出土以来初の公開となる。  さらに熊本県菊池市の木柑子高塚(きこうじたかつか)古墳出土の妊婦らしい女性や烏帽子(えぼし)をかぶった文人など、生活に根差した身近な石像が多くなるという。  このため、同交流館では「石製表飾品は磐井一族の繁栄でピークに達したが、その後も伝統は続いていったと考えられる」と指摘。八女市文化振興課の楠章吾さんは「時代とともに変化していった石製品を楽しんでほしい」と話している。  磐井の乱は 筑紫君磐井が朝鮮半島の新羅と結び、527年に北部九州の勢力とともに起こした反乱。ヤマト政権により、1年後に鎮圧された。磐井はこの戦いで殺害されたとも、逃亡したとも伝えられる。八女市の岩

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(2020/11/05)