佐野元春「ロックンロールするのが使命」 デビュー40年を語る(産経新聞)

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 ロックミュージシャンの佐野元春(64)が、デビューから40年を迎えた。米英から入ってきたロック音楽のビートに、日本語を巧みに乗せて日本固有のロック音楽を完成させた立役者だ。「幸運だった」と40年の歩みを振り返り、「ロックンロールするのが僕の使命」と新しい一歩を踏み出す。(石井健)  ■幸運  〈きれいな猫が優雅な足取りで佐野の前を横切る。「マニです」。オンライン会議システムの画面の向こうで、笑いながら名前を教えてくれた。昭和55年にシングル「アンジェリーナ」でレコード・デビューした。疾走感あふれるビートに日本語の歌詞の韻律を巧みに乗せ、まさに佐野を象徴するようなロックナンバーだった。40年が過ぎた〉  --どんな40年でしたか?  「ラッキーだったな、というふうに思いますね」  --ラッキー?  「僕が、どんなにいい曲を書いたとしても、それを発見してくれる誰かがいなければ、僕は音楽活動を続けられなかった。そうした意味では、僕が書いた曲を多くのファンが、『これはいい曲だ』と価値を与えてくれた。最初に感謝をしたいのは、僕を曲を見つけてくれたファンの皆さんです。どうもありがとうと言いたい。それにしても、こんなに長く続けられるとは思わなかった」  <57年に大瀧詠一のプロジェクト作品「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」に参加して注目。直後に出した3作目のアルバム「SOMEDAY」で人気が爆発。また、沢田研二や松田聖子らへ楽曲を提供するなどした>  「僕の新しいスタイルは、ともすればアンダーグラウンドで終わってしまったかもしれない。だが、メインストリームの人たちが自分の曲に注目してくれた。これも幸運としかいいようがない。その中で、最も感謝したいのが大瀧詠一さん。佐野元春という存在を、広く世の中に知らせてくれた」  ■観察者  --40年の社会情勢の変化に伴い、音楽が変わったというようなことはありますか?  「多分ないと思います。ソングライティングを通じて変化する社会を知る、社会の変化の中に生きている自分を知る。そういう作業を続けています」  --それは、音楽を作ることが社会に通じる手段ということですか?  「そういうことになります。まあ、(音楽が)僕の得意ということになります。良きソングライターは、良き観察者であると思う。自分の喜怒哀楽

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(2020/11/05)