トーマスを“裏切り者”扱いするのは酷だ。忠誠心が蔑ろにされているのは、クラブにも責任がある【現地発】(SOCCER DIGEST Web)

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 トーマス・パーテイが移籍期限最終日にアトレティコを去った。  彼の流出はスポーツ面で大きな空ける結果となったが、同時に経済面では資金繰りに苦しむクラブに小さくない穴を埋めることに寄与した。見方次第で、今回のオペレーションはアクシデントにもなるしソリューションにもなるわけだ。 【PHOTO】ビッグディールが続々成立!2020年夏に新天地を求めた名手たちを一挙紹介  フットボールのクラブの運営を仕切るのはフロント幹部だ。しかしどんな時も心の支えになっているのがファンであり、だからこそ彼らは選手たちに無欲無私な忠誠心を求める。つまりファン感情からすれば、今回トーマスがしたことは裏切りだ。彼はカンテラ育ちだけに、愛する息子の背信行為のように映ったことだろう。  ただ今日のフットボールは、そうしたヒューマンな側面よりもコマーシャリズムが優先される。このトーマスのケースもそうした現状を映し出す一つの鏡に過ぎず、それを選手の責任にするのは酷である。  そもそもビジネスライクに徹してファン感情を逆なでするような決断を下すことで、フットボールを無機質なものにしようとしているのはクラブの人間だ。だったらトーマスがアーセナルからオファーを受諾した際に、自分の忠誠心がいくらなのかと自問自答したとしても致し方ない。  その適正価格が「5000万ユーロ(約62億5000万円)+SNSを介しての別れの挨拶」という結論に達して、彼は移籍を決意したのだろう。  ともあれ親愛なるトーマスよ、アーセナルのエスクードにキスするのは、しばらく控えることをお勧めしたい。 文●ホルヘ・バルダーノ 翻訳:下村正幸 【著者プロフィール】 ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSD

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(2020/11/02)