時代を先取り!? バブル期に登場した小さな高級車5選(GQ JAPAN)

【リンク先抜粋】
“小さな高級車”は、自動車メーカーにとって見果てぬ夢である。つねに、そのジャンルに挑戦してきた。ところが、実際に大きな成功をおさめるのはなかなかむずかしいようだ。むしろ、見果てぬ夢の英語であるインポッシブルドリーム(実現不可能な夢)といったほうがいいかも、と、思えるぐらいである。 それでも、自動車史に残したいモデルはいくつもある。古くは、英国のBMC(当時)が、1959年登場のミニをベースに開発したライリー「エルフ」(1961年)や、ウーズリー「ホーネット」(同)だ。 また、おなじBMCのオースチン「1100」(1963年)やMG「1100」(1962年)といったモデルが作られた「ADO16」プロジェクトから生まれたバンデン・プラ「プリンセス1100」(1963年)も同様。革やウッドをふんだんに使った内装で仕上げていて、日本でも、芸能人を含めて富裕層に好まれた(当時の輸入車はたいへん高価)。 日本のメーカーもさまざまな挑戦をしてきた。方向性はいろいろだ。大きなクルマをダウンサイジングしたものから、サイズを逆手に従来にないデザインの試みをしたものまで。 日本車はそもそも、1970年代までは、意図する・しないにかかわらず、小さなアメリカ車だった。たとえば、1973年のトヨタ「セリカリフトバック」だ。イメージは、米国のフォードが1964年に発表した「マスタング・セミファストバック」と、近いものがある。 マスタングが全幅68.2インチ(1732mm)のボディを108インチ(2743mm)のホイールベースに載せていたのに対して、セリカは全幅1620mmで、ホイールベースは2425mmにとどまる。日本の工場では大型車のラインを持っていなかったため、おなじサイズは作れないし、大きなボディを押しだすのに充分なパワーのマルチシリンダー(8気筒)のエンジンもなかった。 そこから脱皮して、独自の路線の自動車を作れるようになったのは、1980年代以降。本家ともいえる米国の自動車産業が、石油ショックと排ガス規制で、慣れないダウンサイジング化をはじめ、急速にキャラクターを失いはじめた時期でもある。 とくに1980年代後半は、日本車は大きくなってきた市場のため、車種を増やしはじめる。とうぜん、ニッチ(市場のすきま)をねらったモデル、それこそ“小さな高級車”も作られ、私たちは、時には

続きはこちら

(2020/11/01)