神対応象徴の中村憲剛、J初優勝はクラブ尽力の褒美(日刊スポーツ)

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<こんな人> 川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が1日、クラブの公式チャンネルで今季限りでの引退を発表した。    ◇   ◇   ◇ 15年の夏から川崎Fを4年半、担当した。クラブの象徴でサッカーに詳しくない人でも名前と顔が一致するスターだが、練習後も試合後も、報道陣によく話をしてくれた。まさに神対応。その理由を「J2の時、新聞に載りたかった。当時は得点しても記録しか載らなかったから」。集客が5000人に満たない時代に加入し、コスプレを含め、エンターテインメント性あふれる行事も率先して行ってきた。今の若手も中村の背中を見ているからこそ、自身の言葉でメディアにも思いを話し、クラブの行事に協力する。地域とサポーターに愛される礎を築いた象徴でもあった。 ピッチでは自身の経験をMF大島、守田、田中に惜しみなく伝え、日の丸を背負う人材に育てていった。16年4月。練習後に殻が破り切れていない大島の話題になったとき、ポツリと「オレにはもう、時間がない」と漏らした。当時の中村は35歳。今思えば、本心が顔を見せた瞬間だったのかと思う。 17年のJリーグ初優勝の際、加奈子夫人と雑談したとき「もっと早く優勝していたら、W杯(ブラジル大会)で落選してた時にやめていたと思う」と話していたのが記憶に残っている。シルバーコレクターが続いた時代、選手稼働のイベントが多いクラブ故、他クラブから「こんなことばかりしてるから優勝できないんだ」と陰口をたたかれていた。「自分がいるから優勝できない」とまで苦しんだが、優勝後は「これで逆に胸を張ってやっていける」と笑顔を見せた。サッカーの神様は、ピッチ内外でクラブのために尽力した中村に、最高の花道を用意するために、長い間、優勝をお預けにしたのかな…と思わざるを得ない。【岩田千代巳】

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(2020/11/01)