引きこもっていた30代男性を引きこもり支援事業開始に導いた恩人とは?(ダイヤモンド・オンライン)

【リンク先抜粋】
 「1人暮らしをしたい」  弘章さんがお願いすると、父親は口では「いいよ」と言いながら、何か理由を付けて約束を反故にされることが多かった。  「いいよと言われれば、期待する。期待た約束を破られたら、希望の大きさに比例して絶望に変わります。反故にするのなら、最初から期待するようなことを言ってほしくなかった」  弘章さんは、話し合いで解決できない中で、気持ちを伝えたいがためにそうした怒りを抑えることができず、何度か家の物を壊した。怒りすぎて、空のペットボトルや火の付いていないタバコを投げたりしたこともあった。それらを投げたのは、親をケガさせないようにとの配慮だった。  ただ、怒るとだんだん気力がなくなってくる。  「怒りすぎでアドレナリンが少なくなったのか、立ち上がることができなくなったこともある」  家の中で親に会わなければ衝突も起こらない。そうして、どんどん部屋にこもりがちになった。  長いひきこもりがちな生活の中で2年くらい、誰にも会えなかった。買い物にも行けないときもあった。  引きこもっている間は、ずっと部屋の中にいた。両親に対しての怒りが恨みに変わり、許す気持ちになり、また怒りに変わる。そのサイクルの中から抜け出したいのに、負のループが繰り返されていくのかと思うと、死にたくなった。  「自分は、もしかしたら社会で一番きつい思いをしているのではないか、本気でそう思ったときもある」  弘章さんには、自分を取り巻く絶望が腹立たしく感じられた。  社会という島があって、本当は上陸したいのに、イカダで漕げば漕ぐほど島が遠のいていく。イカダを漕ぐための手段として父親とさまざまな約束をしたけれど、守られることも少なく、早くたどり着こうと焦れば焦るほど、社会が離れていく感じがした。  今年1月のある日、父親から「明日、保健所の人が来るらしい」と言われた。いきなりだった。

続きはこちら

(2020/10/30)