「こんな時期だからこそ基本を」コロナ禍でも成長を続けるメダル候補・トランポリン堺亮介(VICTORY)

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―トランポリンを始められたきっかけを教えて下さい。 堺:元々は母が、産後に何か運動をしたいということで始めたんですけど。その練習に僕が一緒に行っていたのがきっかけですかね。生後半年くらいには、母が僕を抱っこしながら跳んでいたらしく(笑)。それが楽しかったっていうのもあり、2歳の誕生日を迎えてすぐにクラブに入りました。記憶としてはあまり残っていないですけど、気づいた頃には生活の一部になっていましたね。 ―競技として本格的に取り組み始めたのはいつ頃からでしょう? 堺:小学校1年生から全日本のジュニアの大会には出場していたんですけど、6年生の時に初めて世界のジュニア大会に出場しまして。国内では通用していたのに、世界では決勝にも残れなかったんですよね。そこから「世界の舞台で闘えるようになりたい」と思うようになりました。そこからはたくさん練習するようになりましたね。 ―そのジュニアの世界大会で特に印象が残っていることはありますか? 堺:僕としては演技点というところに自信があったんですけど、ロシアやカザフスタンの選手たちは、演技点だけでは補うことができないくらいに難度点が高くて。同い年なのに、難しい技をたくさんやっているっていうところで、世界との差を感じました。 ―その後、高校では地元神奈川を出て、星稜高校に進学された訳ですが、星稜高校への進学を決めたきっかけを教えて下さい。 堺:小学校5年生の時に、初めて星稜高校の選手の演技を見たんですけど、技のキレがすごくあって、それに魅力を感じました。その後、小学生ながら、西川監督に星稜の合宿に参加させてもらえるようにお願いして。合宿に参加する中で、星稜なら自分の持ち味を成長させることができると感じていたので、僕としては星稜高校に行こうと決めていました。 ―星稜高校時代は、インターハイを個人では2連覇、団体では3連覇されて、飛躍を遂げられたわけですが、特にご自身の成長につながった部分はどの辺りにあると考えられていますか? 堺:親元を離れて一人で生活をしなくちゃいけないので、逃げ道がないですし、三年間の寮生活を振り返ると、トランポリンだけに集中していたと思います。学校から寮が近かったので、練習が終わればすぐ帰るって感じで。自分と向き合う時間が多かったですね。寮に帰っても、トランポリンのことばかり考えているような生活でした。

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(2020/10/30)