書評『「役に立たない」科学が役に立つ』(エイブラハム・フレクスナー、ロベルト・ダイクラーフ著、初田哲男監訳)(中央公論)

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 近年、日本での基礎研究の衰退を懸念する声がよく聞かれる。研究に割り振られる予算の総額は大きく変わってはいないものの、国立大学において各研究者の研究の基盤となるべき一般運営費交付金が年々減り、競争的資金が増えていることがその象徴である。つまり、短期間で結果が出てわかりやすい形で「役に立つ」研究にばかり資金が流れやすい構造になっているのだ。 「8割おじさん」のクラスター対策班戦記【前編】~ 厚労省のビルから北大の研究室に戻るにあたり伝えたいこと  そのような傾向は、必ずしも日本だけではなく、アメリカでも同様であり、さらには二十世紀前半もそうであったことが本書には書かれているが、そうした中、おそらく世界で唯一、「役に立たない知識」を探究することを標榜し、一切成果を要求せず、ただやりたい研究だけに没頭できる環境を提供する研究所がアメリカ・ニュージャージー州にある。それが、世界に名を轟かすプリンストン高等研究所である。  本書は、この研究所の設立に尽力し、初代所長となったエイブラハム・フレクスナーが八〇年以上前に書いたエッセイと、それを補足するように書かれた現所長ロベルト・ダイクラーフによるエッセイとで構成される。  フレクスナーのエッセイのタイトルが、そのまま本書のタイトル(英題)になっているのだが、その言葉通り彼は、本書の中で、研究は、ただ好奇心のみを出発点として行われなければならず、「有用性」という概念を徹底的に排除するべきだという信念を情熱的に語っている。彼は言う。ガリレオもニュートンも、ただ好奇心のみを原動力とした。マクスウェルもファラデーも、自分の研究が社会に役立つかどうかなどは一切気にしなかった。そしてそうした、「有益さ」を超越した知的探求こそが、結果として世界の仕組みを明らかにし、世の中を変えていったのだ、と。  彼の揺るがない信念は、アインシュタイン、ボーア、湯川秀樹、フォン・ノイマンなど、世界的な科学者や数学者をこの研究所へと引き寄せた。そしてプリンストン高等研究所は、研究所として他に例を見ない形で人類的貢献を果たしていくことになったのである。  またフレクスナーはこうも言う。結果的に大きな成果をあげられるから自由に研究するのが重要なのではない。精神と知性の自由のもとで行われた研究活動は、音楽や芸術と同様に、人間の魂を解放し満足をもたらすとい

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(2020/10/29)