【藤井康雄連載コラム】イチローの第一印象は「かわいらしいヤツ」(東スポWeb)

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【藤井康雄「勇者の魂」(11)】1994年、仰木彬監督が就任された。新しい監督が来る時って不安と期待、どんな野球をされるのかっていうのがありますよね。データ野球というのは戸惑いがありますよ。調子の良しあしより、相手との相性で判断される。仰木さんはいつも「思い切ってやってくれ。勝ち負けはすべて俺が責任取るから」が口ぐせでしたね。  最初はレギュラーで使ってくれてたんです。でも対戦成績で傾向が出てくるようになると、前日にヒットを打っても翌日は外されるということがある。ずっとレギュラーを張ってきていたし、腹立って腹立ってしょうがなかった(笑い)。その投手を打っている打ってないで判断されるのはねえ。理由も何も説明されたことはないし。  でもね。試合で勝てるようになってくると、こういう野球もいいんじゃないか、と思えるようになるし、慣れてきて「あ、明日は俺はないな」とわかるようになる。そういうスタイルが確立されて選手も順応するようになってくるんですね。出た時には結果をしっかり出そう、と考える。  その年は阪神でスターだったベテランの岡田彰布さんが移籍して来られた。我が道を行くというか、若い選手からしたらとっつきにくかったんじゃないかな。僕もあまり交流はなかったですね。将棋が好きでオリックスのロッカーに将棋盤を持ち込んだ人(笑い)。将棋仲間とは仲が良かったんじゃないですかね。  岡田さんはどんな場面でも平常心で、よっしゃ、という場面でもテンションが同じなんです。ここ一番の集中力はすごいし、百戦錬磨という感じかなあ。後年、僕が打撃コーチで行ったころのソフトバンク・小久保裕紀みたいな…。若い選手を鼓舞して引っ張っていくタイプではなかったねえ(笑い)。  その年は3年目のイチローがブレークしました。最初に彼と話したのは…僕がオフに山森雅文さんと自主トレで神戸の球場の周りを走ってた時、高卒ルーキーの彼が1人で走っていたんです。「新人の鈴木です」と言うんで「そうか、鈴木君か。練習厳しいけど、無理せんようにな」なんて言って(笑い)。その時のことは覚えているよねえ。かわいらしい印象でした。  その後、二軍でめちゃめちゃ打っているという話は聞いてて、二軍の試合を見る機会があったんです。そしたら普通の遊ゴロを内野安打にしてた。「センター前ならいつでも打てます」って言ってるらしいと…。高

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(2020/10/29)