CM出演者が印象的だった1980年代の国産コンパクトカー5選(GQ JAPAN)
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カローラでは(価格でもサイズでも)ややトゥーマッチ。だけど、やっぱりカローラというブランドの神通力が通用するマーケットが、1980年代初頭には確実に存在した。
1978年にスターレットとカローラの中間を埋める車種として「ターセル/コルサ」が登場。1982年にモデルチェンジした際に、販売系列であるカローラ店むけに開発されたのが初代「カローラll」である。
ターセルは英語でハヤブサ、コルサはイタリア語でレースを意味していた。すごい名前を選んだものだ、と、当時感心した。それに対してカローラllはひかえめだ。1986年にモデルチェンジしたときは、ハッチバックは格納式ヘッドランプを備えたスタイリングになり、ターボモデルも設定するなど、買いやすさというより、若々しいスポーティさを製品の核に据えるようになった。
原田知世をテレビコマーシャルのイメージキャラクターにしたのは、3代目だ。1983年に映画『時をかける少女』の主演で大きな人気を獲得し、当時、薬師丸ひろ子、渡辺典子とともに“角川三人娘”と称されてマスコミにもひんぱんに登場したのが原田知世である。
1988年にカローラllのコマーシャルに登場したときは、すでに角川春樹事務所との契約を終えており、トヨタ・セリカGT-FOURが活躍する映画『私をスキーに連れてって』(1987年)に主演するなどして新境地を開拓しはじめた頃だ。
角川映画のころの原田知世は『愛情物語』や『天国にいちばん近い島』(ともに1984年)などで、ミドルティーンのかわいらしさが強調されていたので、イメージ的にクルマとは結びつけにくい。そのイメージを、ホイチョイ・プロダクションが手がけた”超”をつけたくなるトレンディな作品で脱ぎ捨て、”彼女”にしたい女の子へと成長していた。
それゆえ、原田知世が、クルマでのデートをおねだりするというのも、もはや違和感がなかった。ただ、コマーシャルのバージョンが変わるたびに、髪型をふくめ原田知世が演じるキャラクターのイメージが大きく変わったのが、ある意味印象的だ。制作側に、原田知世と消費者の適切な関係性について悩みがあったのかもしれない。たんなる演じ手としての彼女を、ではなく、内面を表現するように見せたほうがよかったように思えた。
カローラllは先述したように、スターレットでは小さすぎるという層に向けて開発された。3