松井秀喜への死球で「そんなに嫌い?」と冷やかされたワケ【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】(日刊ゲンダイDIGITAL)
【リンク先抜粋】
【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】#22
まさかのデッドボールに、僕は顔面蒼白になりました。
2009年4月19日のこと。場所はこの年に開場した新ヤンキースタジアム。それまで使用していた旧ヤンキースタジアムが老朽化したため、敷地の隣に球場が新設されたのです。僕はこの新球場で松井秀喜と対戦しました。
僕と彼は1974年生まれの同級生。日本にいた頃から親交はありましたが、当時は交流戦もなく、練習中に談笑する機会もありませんでした。それがニューヨークで対戦というのだから、わからないものです。
僕がマウンドに立ったのは20―4と大量リードの七回。実はこの新ヤンキースタジアムで初めて投げた日本人投手が僕なんです。左打席で構える松井を見ながら、僕の脳裏には彼の直前のバッティングがよぎりました。
■厳しくいかないと…
この日の先発は右腕のカルモナ。五回に代打出場した松井は、インコースの球を右中間にはじき返していました。「こりゃあ、厳しくいかないと打たれるな」と思い、意を決して投げたのですが……。
なんと、内角を厳しく攻めたつもりのボールは松井の左ヒザを直撃。彼は07年オフの右ヒザ手術に続いて、08年オフに今度は左ヒザを手術したばかり。そこにぶつけてしまったのです。
「うわー! やっちゃったぁ……。せっかくの日本人対決でデッドボールかよ。しかも、よりによって左ヒザか……」
と内心、頭を抱えましたけれど、メジャーはぶつけた投手が相手に頭を下げるのはご法度。謝るのはすなわち、故意にぶつけたことを意味するからです。それでも一塁に向かう松井には周囲にそれと気付かれないほど軽く会釈をすると、向こうは僕を見ながら含み笑いをしていました。何ともバツが悪い対戦でしたが、この話はこれで終わりません。
気を取り直して次の打者に投げたところ、なんと投ゴロ併殺。手術したばかりの左ヒザに当てた揚げ句、ヒザの悪い松井を二塁に走らせてアウトにする結果になってしまったのです。
ベンチに戻ると、ナインからいじられるわ、いじられるわ。
「おまえ、アイツのことがそんなに嫌いなのか?」
と、ニヤニヤしながら聞いてくる選手がいたくらい。
「いやいや、先日も一緒にメシを食いに行ったばかり! 同い年の友達だよ、友達!」
と、僕も笑いながら返しましたが、ヤンキースはこの