ディーン元気、復活でなく「進化」視線は世界と勝負(日刊スポーツ)

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陸上男子やり投げのディーン元気(28=ミズノ)が19日、オンラインでの合同取材に応じ、激動の1年を振り返った。 【写真】「セイコー・ゴールデングランプリ陸上」男子やり投げで優勝したディーン元気(2020年8月23日撮影) 「みんな復活と言われますけど、進化じゃないですかね。進化している事を記録として表現できた」 冬はフィンランド、そして南アフリカで合宿を積んだ。未知のウイルスの感染が広がりはじめた3月は、南アフリカに。4月までトレーニングを積む計画を立てていた。ただ、少なかった感染者が一気に増えていく。同国のラマポーザ大統領が「ロックダウン(都市封鎖)」を宣言した。3月23日のことだった。 ロックダウンの南アフリカでの生活を、余儀なくされれば「かなりの行動の制限がかかってしまう」。アスリートとして必要な体調管理も難しくなる。「慌てて帰ってきました」。幸運にも便は手配でき、3月26日に帰国できたという。そこからは家族も含め、誰にも会わない隔離生活を2週間過ごし、その後は、近所の空き地でトレーニングした。 もちろん投てきの練習はできず、冬季に培った感覚は失われた時期もあった。「正直やばい」とも思ったという。ただ、フィジカル面の下地はできていた。競技場での練習を再開し、感覚さえ戻せば、「ベストは出る」手応えは持っていた。 そうして迎えた、8月23日のセイコー・ゴールデングランプリ。最終6投目に84メートル05をマークし、優勝を決めた。80メートルを上回ったのも7年ぶり。着ていたユニホームを引きちぎるほど、たまっていた感情が爆発した。「思い切ったパフォーマンスができない時期が長かった。もどかしい時間だった。その分、投げた時の喜びは大きかった」と振り返る。12年ロンドン・オリンピック(五輪)の決勝で右脇腹を痛めた。患部をかばいながら投げると、故障の負の連鎖に陥った。そこから長く、長く続いた不振。その脱却を印象付けた。 10月の日本選手権は、5投目に80メートル07を出し、トップに立ったが、甘くはなかった。最後に同級生が立ちはだかった。新井涼平(29=スズキ)に逆転され、7連覇を許した。「タイミングと試合の作り方は大事」。前半に好記録を出せなかったのを反省材料とした。 苦悩を乗り越えた今は、明確に世界と勝負することを見据える。目標は12年に出した自己ベスト84メ

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(2020/10/20)