〝もともと孤独〟巨人・岩隈が語っていた本音「いつでも引退なんてできる」(東スポWeb)

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 最後まで〝孤高の男〟だった。巨人・岩隈久志投手(39)が今季限りで現役を引退する。19日に球団から発表された。日米通算170勝。原辰徳監督(62)のラブコールを受け、昨年8年ぶりに日本球界復帰したが、手術した右肩のコンディションが戻ることはなかった。〝今季ダメなら…〟の思いは当然あっただろうが、一方で自身の進退についてドライな一面ものぞかせていた。  昨年8月に二軍公式戦に2試合登板したが、コンディションを維持できず、10月には鼠径(そけい)ヘルニアの手術。以降も、トレーナーやスタッフとコンディションの向上に努めてきた。  しかしブルペンにこそ入るも一進一退。原監督も気がかりだったのか、同19日のDeNA戦後に予告先発を回避したメルセデスについてコメントを求められ「本来なら『(代わりに)岩隈』と言いたいところだけど…なかなかホトトギスは鳴かないよ」と冗談交じりに語ったこともあった。  同世代が次々とユニホームを脱ぎ、特にファームでは15歳近くも年下の選手ばかり。以前、岩隈に「孤独感を感じることは?」と聞いてみると「感じるのかな…あんまり変わらないですね。長年こうだから。年は離れているけど、今までやってきたことは話せるし、聞いてきてくれるから」とサバサバした様子で語った。一方でこうつぶやいた。「でも…もともと孤独でしょ。違う?」  近鉄、楽天、マリナーズとすべての球団でエース級の活躍だった。しかし、チームワーク、チーム一丸、という〝熱いワード〟からは一歩距離を置くような存在だった。古巣の楽天関係者も「今はどうかわかりませんが、例えばチームが連敗中とか、流れが悪いとか、そんな時でも自分のやることをやったらパッと帰ってしまうところがあった」と明かしていた。  プロ野球選手は「個人事業主」。最後は誰も助けてはくれないし、自分を守れるのは自分だけ。そんな思いが強いのだろう。楽天時代は腰や肩、ヒジに張りが出てフォームのバランスが崩れてくると、イニング、投球数を問わず自ら降板を申し出た。当時の野村克也監督も「岩隈が投げるときは〝監督兼ピッチャー〟。全部自分で決めるんだよ」とボヤくこともしばしばだった。  38歳になった昨年は8年ぶりに日本球界復帰。ひたすら自身の体と向き合う日々だったが、自分を呼んでくれた原監督、これまで世話になった人たちのためにも、東京ドームの一軍

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(2020/10/20)