宇野勝氏「キング争いの鍵は対戦カード」巨人・岡本ガラリ一変ある!(東スポWeb)

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 セ・リーグは巨人の2年連続リーグVが決定的な状況でファンの興味は個人タイトル争いへと移りつつある。中でも特に注目を集めているのが本塁打王争いだ。阪神・大山悠輔内野手(25)を筆頭に世代の近い和製大砲たちが初キングに向けてしのぎを削っている。果たして最後に栄光をつかむのは誰なのか。本紙評論家で1984年の本塁打王でもある宇野勝氏が占った。 【宇野勝 フルスイングの掟】個人的なことで恐縮だが、本塁打王の話になると、あの時のことを思い出す。そう、37本塁打で阪神の掛布雅之さんとタイトルを分け合った1984年のことだ。  7月終了時点で私が19本塁打だったのに対して掛布さんは26本。そこから8月に月間15本塁打で逆転し、掛布さんに3本差をつけてトップに立った。当時26歳と若かった私は「絶対に本塁打王のタイトルを取るんだ」という気持ちになっていたし、そうなるものだと思っていた。  しかし、9月になって状況が変わった。広島とのし烈なV争いの中で打撃を崩し、8月終了時点で2割7分2厘だった打率は2割5分3厘に急降下。本塁打は3本しか伸ばせなかった。それに対して掛布さんは9月に6本塁打。ともに37本塁打で10月を迎えた時点で、単独でのキングは諦めざるを得なかった。なぜなら私の在籍していた中日の残り2試合が、いずれも阪神戦だったからだ。  のちに聞いたところによると、阪神の安藤監督と掛布さん、中日の山内監督の間で事前に話ができていたという。タイトルホルダーとなる機会はそうそう訪れるわけではないし、この際だから2人に取らせよう――。若い私には「仕方ない」という諦めと「またチャンスは来るだろう」との思いがあった。しかし、今になって考えると〝大人の判断〟は間違っていなかった。  翌85年に自己最多の41本塁打を放ったが、同年は阪神のバースが54本塁打でキングとなった。タイトルというのは巡り合わせもあり、取れる時に取っておかないと後悔することになる。84年の阪神との最後の2試合は両チームによる四球合戦となり、私と掛布さんはともに10打席連続四球と立ってるだけで終わった。「ファン無視だ」と社会問題にもなったが、結果的に18年間の現役生活で私が獲得した個人タイトルはこの84年の本塁打王だけ。今では配慮してくださった方々に感謝しかない。  さて、本題に入ろう。今年の本塁打王争いは実に

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(2020/10/20)