【巨人】岩隈久志、引退 日米通算170勝39歳「引き際はずっと考えていた」(スポーツ報知)

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 日米通算170勝のレジェンド・岩隈がプロ21年目でユニホームを脱ぐ。近鉄、楽天、マリナーズを経て19年に巨人へ入団。今季は“勝負”をかけた1年だった。  「年齢もそうですし、原監督が呼んでくださってジャイアンツに入団した。何とか2軍で投げられる兆しはあったので『今年は絶対に1軍に上がって』という思いは強かった。結果が出せなかったら、誰もが(引退を)感じる部分ではあると思う。それがダメならというか、引き際はずっと考えていました」  巨人入団後は17年秋に受けた右肩手術の影響を考慮し、リハビリ生活が続いた。今シーズンを万全な状態で挑むため、昨年10月にはそけいヘルニアの手術を受けた。1軍登板は1度もなかったが、巨人での約2年間を振り返り出てきた言葉は「感謝」の気持ちだった。  「体が元気だったらできたと思うんです。1軍で投げられず、監督の気持ちにもマウンドでお応えできなかった部分は僕自身もすごく残念で悔しい。だけど、この2年間を振り返れば、挑戦させていただいたことにすごく感謝しているんです」  ずっと復活のマウンドを目指し、自分の限界に挑み戦い続けた。ジャイアンツ球場ではいつも汗を流し続けていた。自身の練習とともに、若手選手たちには経験と知識を生かしてアドバイスを送った。  「自分が若手に対して惜しみなくアドバイスをさせていただいたことも、この2年間の中でもすごく大きな財産になりましたね」  日本での復帰登板は昨年8月21日のイースタン・日本ハム戦(東京D)。移籍後初登板だった。中2日で登板した同24日のイースタン・楽天戦(森林どり泉)後は実戦から離れた。2軍戦とは思えない、巨人ファンからの大歓声は岩隈の心に残ったという。  「すごい大きな声援をいただいたので、ありがたかったです。あの声援にもっともっと応えたかったという悔しさもあります」  近鉄と楽天の2球団で最多賞を獲得し、楽天時代の08年に21勝で沢村賞に輝いた。09年のWBCでは原監督のもとで世界一に貢献し、楽天を初のクライマックスシリーズに導いた。メジャーでは3度の2ケタ勝利に加え、15年には日本人2人目のノーヒットノーランを達成。日米で残した記録と栄光は、球史に輝き続ける。(玉寄 穂波)

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(2020/10/20)