「点在する石垣から江戸城の往時に想いを馳せる」荻窪圭のマップアプリ放浪(FUNQ)

【リンク先抜粋】
左が明治時代初期。まだ日比谷公園ができておらず、お堀も残っている。中央下には『鹿鳴館』が描かれている時代である。鹿鳴館建設が明治16年なのでその頃の地図だ。鹿鳴館が今の日比谷公園の向かいにあったと知ってましたか? で、右の明治時代終わりの地図は、日比谷公園ができてまもなくのころだ。 これでわかるのはもともとここにあったお堀はカクカクと曲がっていたこと。お堀を埋めたとき少しずれていた道路を斜めにつないだため、日比谷公園の石垣が道路に対して斜めになっていること(斜めなのは石垣ではなくて道路の方だったのだ)。 日比谷公園にかぶっていたのは、内堀と外堀をつなぐ短い『中堀』だそうな。それでなんか中途半端な位置にあったのだな。

続きはこちら

(2020/10/14)